話が長くなっちゃって、ゴメンなさい。
皆さんから色々な暖かいご意見や
楽しい感想をいただいて
本当は第3弾を書くのやめようかなって思ったの。
でも、頑張って書きます。

お願いがあります。
この第3部を読む前に
今一度、1部・2部を読み返してもらってから
読んでいただきたいって思います。



清美が「いいよ」って言ったので
お風呂に入りました。
っていっても、私は、上は普段着を着たまま
下はブルマー姿です。
だって、清美の背中を洗うために来たんだもん。

清美は私に背中を向けたまま
顔を私の方に振り返ると
恥ずかしそうに「お願いします。
背中を洗ってもらうなんて初めて」って
嬉しそうに言うと、正面を向きました。
親にさえ洗ってもらった事がなかったらしいの。
私が生まれて初めて清美を洗う人みたい。

私からは、清美の後ろ姿しか見えないけど
カワイイお尻は、くっきりハッキリ見えますし
カワイイきれいな背中も
本当に女の子らしい可愛い背中でした。
私がタオルに石鹸をつけて
清美に近づいて、背中を洗い始めると
後ろにいる私から、真上からだけど
清美の胸が見えると。
きれいな色白なカワイイ胸の膨らみと
赤くてカワイイ乳首が丸見えです。
私が背中をタオルで洗うと
その振動で、カワイイ胸が
揺れ動くの。
清美は恥ずかしそうに下を向いていたので
私は、清美の胸を見放題でした(笑)
とても柔らかそうなきれいな胸でした。

夜は、一緒に私の部屋で寝ました。
学校の話は、一切出ませんでしたが
清美はテレビをよく見るみたいで
テレビの話を色々しました。
途中、「オシッコしてくるね」って言って
部屋を出て、トイレに行って、しばらくすると
鮮明にシューってオシッコの音が響いてくるの(笑)
私のオシッコよりも音が大きいみたいです。
そして、もうそろそろ寝よう♪っていう時に
清美が「実は、来月、私、引っ越しする。
となりの○○都道府県に引っ越しするの。
せっかく陽子と会えたのに、凄く淋しい。
陽子と仲良くなるまでは
こんな学校、早く引っ越ししたい!って思っていたけど
陽子と知り合ってから、引っ越すのがイヤになった。
もっと早く陽子と知り合えていたら良かった。
ありがとう」って言って
涙声になって、そのうち、「ウー・・」って泣いちゃった。
私は「泣かないでよ。隣の都道府県なんだから
いつでも遊びにいけるよ」って言って
元気に励ましてました。

清美とは、こんな感じで仲良くなったけど
クラスでは、お互いに今までのように
話もしませんでした。
実は、清美からのお願いだったの。
「私が、陽子と仲良くお話をしていると
他のクラスの人が、気に入らないって思って
私から陽子を引き離すようなことをすると思うの。
だから、学校では、今まで通りでいて」って言われたの。
これって、清美の自己中心的な考えでは無くて
私のことを思っての発言なんです。

それから数日経った頃、先生から
清美が転校するって話があって
それから2日程たった金曜日の放課後
学校の教室で、清美のお別れ会を行いましたが
形式だけの簡単な会でした。
盛り上がりもなく、涙もなく、笑顔もなく
楽しくない会でした。
2日後の日曜日、清美が引っ越しをする日だったのですが
私は、大事な部活動の練習試合があったので
引っ越しの時に行こうか?迷っていました。
そのことを前もって清美に話したら
「陽子が来ると、悲しくなっちゃうから来なくていいから!」
って、あっさり言われちゃいました(笑)

結局、清美は合唱コンクールに参加しないまま
転校していきました。

清美が去ってから、約1週間位経ったころ
清美から手紙が来ていました。
その手紙の内容の一部を紹介します。

『私の未来なんて、無いと思っていた。
 未来なんて、なくてもいいかな。なんて思っていた。
 教室に入ると、みんな楽しそう。
 でも、私は透明人間。だれも気が付いてくれない。
 いつも私は、みんなの輪の外。
 学校にいる間、ずっとつらかった。
 まるで教室の中が水いっぱいになっていて
 息ができなくて溺れて死にそうな感じがしていた。
 学校からの帰り道が一番楽しかったなぁ。
 歩いている犬も走り回っているネコも
 クラスのみんなより、ずっとずっと暖かい目で
 私を見てくれていたから。

 私は、もう十分生きてきたから
 一生懸命に生きてきたから
 凄いいっぱい生きてきたから
 だから
 もうそろそろ死んでもいいかなって
 そんなこと思っていた。
 どうやって死のうかな?って考えている時が
 一番楽しかった。
 そんな時に陽子に出逢った。
 陽子に会えて
 頑張って生きていけるような気がした。
 私には、陽子というステキな友達がいるんだ!って
 胸を張って生きていけるような気がして
 嬉しかった。
 陽子が教室にいると、息ができるような気がした。
 教室で、陽子が誰かと笑っている顔を見ると
 私も幸せな気分になれた。
 私にも、未来があるのかな?って
 思えるようになってきた。
 楽しく生きていけるような気がしてきた』

こんな手紙が来たので、私は
ちょっぴり嬉しかったです。

返事を兼ねて、「新しい学校に慣れた?」って感じの手紙を
出したら
しばらくして、手紙が来て
「今ね、ちょっと体を壊して、病院のベッドの上。
新しい学校には、5日位しか通ってないけど
みんな優しくしてくれるから、安心して。
友達も出来そうな予感で〜す」って
返事が来ました。
それから、私自身が部活動などで忙しくなっちゃって
連絡も取れなくて・・・
その年の暮れに年賀状を出しました。

・・・・・・・・・・


・・・・・・・・・・

1月の中旬、封書で一通の手紙が来ました。
差出人は、初めて聞いた名前
「○○節子」という人。
○○には苗字が入りますが、清美と同じ苗字。
その時の手紙です。原文のままです。

『陽子様、ご丁寧なお年賀の挨拶、ありがとうございました。
 清美は、12月28日、まだまだ若い、これから未来がある身で
 この世を去りました。
 清美は、いつも病床で陽子様の話をずっと話していました。
 陽子様との色々な思い出は、娘にとっては
 生きていて良かったと実感ができた数日間だったようです。
 陽子様と一緒に唄ったらしい「大きな古時計」を
 病床でよく唄っていました。
 「だけど もう動かない この時計」
 その箇所を何度も繰り返しながら息を引き取りました。
 娘は、小学・中学とツライ学校生活だったようですが
 私は最近まで知りませんでした。親に心配をかけまいとする
 娘の優しさだったようです。
 病床の娘に初めて聞きました。
 そんな中で、陽子様の存在は一筋の光明だったのでしょう
 陽子様に会えて、恐らく清美にとっては
 楽しく悔いの無い人生だったと信じています』
こんな手紙が来ました。
清美には持病があったようです。
最後の言葉は、大きな古時計の歌詞。
「もう動かない・・・この時計」・・・
自分を「時計」に置き換えて唄っていたのでしょうか?
ですので、「大きな古時計」の歌に特別の気持ちを感じます。
だから、子供の歌を大人の人に歌ってもらいたくなかった。
大人の人に、神聖なる歌を汚されたくなかったなぁなんて
勝手な事を考えちゃってました。

よく、映画やテレビ・小説などには
親友が亡くなった!なんて時
こんな時、泣き崩れちゃうってシーンがありますけど
私は全然違いました。
その手紙を読んだ後
なんか、頭がカラッポになっちゃった感じで
ポカーンとしちゃって
なんか笑い出しそうな感じなの。
「え?死んじゃったの?マジ?ウソなんじゃないの。キャッハッハ」
って感じで本当に笑い出しそうな感じなの。
恐らく笑顔になっていたかもしれません。
悲しいっていう気持ちとは
きっと程遠い顔をしていたと思います。
そして、部屋の真ん中に寝転がって
今度は、放心状態になって
意味もなく天井を1時間以上見上げてました。
1時間程経って
やっと私は事実を理解しはじめたって感じでした。
私の頭の中は
「死んじゃったんだぁ」「死んじゃったんだぁ」
って言葉が繰り返し繰り返し巡っていて
少しずつ涙が出てきて、
・・・・・・・・
「これから生きていける気がする」って言っていたのに
なぜ死んじゃったの?
そんな無意味な質問を自問自答してました。
悲しくて泣く!っていうよりも
虚しくて、泣くっていう感じかなぁ?
ただただ機械的に涙が目から流れ出てくるって感じ。

恐らく、私のクラスの人は
清美が死んだ事を知らないと思うの。
先生も知らないはず。
知っているのは、私だけ。
だからこそなおさら自分が淋しかった。
次の日に学校に行っても
みんな笑顔で楽しそう。
テレビの話題なんかで盛り上がってました。

清美のお母さんから手紙をもらってから数日経った日曜
部活動を休んで、
父の車でお墓参りに行きました。
場所が分からなくて、FAXで地図を送ってもらって
清美の家に行く事が出来ました。
その時に、清美のお母さんから
紙袋ももらいました。
その中には、前に一緒に帰った時にもらったのと同じような
クマのぬいぐるみが入っていました。
そしてお腹には「さようなら。また遊ぼうね」って。
引っ越しの時に渡す予定だったようです。
引っ越しの時に、清美ちゃんは「来なくていいよ」
なんて言ってましたが
本当は私を待っていたみたい。
親にムリを言って出発を30分も遅らせて
私を待っていたみたい・・・・。

お葬式は、とても寂しい葬式だったそうです。
今までいた私の中学の人達は
亡くなった事を知りませんでしたし
新しい学校にも5日程しか通っていなくて
友達とかクラスメイトとか
まだそんな関係ではなくて
新しい中学の生徒も来なかったらしいです。

ぬいぐるみの言葉
「さようなら。また遊ぼうね」
引っ越しの挨拶だと思うのですが
その時、ぬいぐるみを見たら
永遠の別れを言われているようで凄いショックでした。
清美には2人の弟がいて、とてもいい子でした。
帰りの車の中で、私も父もずっと無言でした。
涙なんて出てこないけど、凄い悲しい。
でも、泣けない。そんな感じでした。
本当に泣けないの。
凄い悲しいのに
恐らく顔だけ見れば、無表情の顔をしていたのかも
しれません。

実は、そのクマの縫いぐるみと、その文字を
デジカメで撮影しました。
HPに載せようかな?なんてバカな事を考えていました。
でもそんな事したら清美に、とても失礼ですし
皆さんもそんなの見たくないはず。
だから載せません。ゴメンなさい。

お風呂場で見た、清美の可愛くて綺麗な胸
その胸に、誰にも触れられる事のないまま亡くなった清美。
清美のかわいいお尻に誰も触れる事のないまま
去って行った清美。
本当なら、私と同じ空の下、この世界を生きていたはずの清美。
カラオケで歌を唄ったり買い物をしたり
恋をしたり、エッチしたり・・・・
そんなことをして過ごしていたはず。
中学2年の12月で時間が止まってしまった清美・・・
もう動かない・・・・・この時計・・・・・・

私は、清美のために一生懸命に尽くしてきたつもりだった。
でも、そんなの自己満足に過ぎない!って感じて
自分自身に情けなくなってきちゃって・・・・・
私を心の支えにしてくれた清美。
でも、人の心の支えになるって事が
どんなに大変で、どんなに重い事なのか!
どんなに重要な事なのか!
って事を、初めて知りました。
結局、私は、清美を
ほんの少しだけ楽しい気持ちにさせてあげただけで
助けてあげる事なんて出来なかったんじゃないのかな?って
そう思いました。
人のために頑張る!
人のために尽くす!って事が
どれだけ大変で厳しい事かって事を
清美に教えてもらったような気がします。
今では、清美の分まで頑張って生きようって思っています。

クラスの中の嫌われ者が
心の優しい、繊細な心の人だった。
小学校の時の仁美ちゃんもそうだった。

今でも、12月になると、車で約3〜4時間の距離ですが
お線香をあげに毎年必ず行っています。
今では、悪友と一緒に行動して清美をいじめていた礼美(あやみ)も
3年前から私と一緒に行っています。
今年も、先日、礼美と一緒に行ってきました。
本当は、命日である12月28日の1日で書き終わるつもりだったのですが
12月30日になっちゃいました。

実は、皆さん(嵐さん)の感想などの書き込みに
「今は幸せになっていてほしいな」って書いてあって
それを見た時に思わず涙ぐんでしまって。
それから、他の皆さんにも
「第3弾、楽しみにしてます」って意見ももらって
皆さんは明るく楽しく愉快でエッチなお話を望んでいるはずなのに
こんな暗くて悲しいお話を書くのは、よく無い事!
関係の無い皆さんを暗くさせてしまうなんて
いけないこと!って思ったの。
「清美は元気に頑張っていますよ」ってウソを書いちゃおうかな?
って悩んだの。
私と清美だけの話に
何も関係の無い皆さんを巻き込むなんて
これから新年を迎えるワクワクしているこの楽しい気分の時期に
ふさわしくない!って。
そう思ったの。
だから亡くなった事を書くのやめよう!って
本当は心に決めていました。
でも、そんなことをしたら
清美にウソをついているみたいで
申し訳なくて
だから、皆さんには本当に関係の無い事なのですが
本当のことを書きました。
皆さんには暗い気持ちになって欲しくないから
だから、「インチキな作り話」って思って読み流して欲しいです。
「良く出来た作り話」って思って欲しいです。

新年を直前に控えた大切な時期に
へんな話を書いてゴメンね。
しかも長くて。
本当に長い間、ありがとうございました。
本当なら、もっと短くして、50行位で簡単にまとめても
よかったのかもしれませんが
私の思いを書きたくて、そして細かく書かなくっちゃ!って思って
そんな感じで書いていたら
長くなっちゃいました。

 今後は、このような変な話は書かないで
 明るくお馬鹿なエッチな話を書いていきますから
 安心してね。
 その時に思いっきりはじけて欲しいです。
 本当にゴメンなさい。

皆さんの、清美に対する意見や感想などのお言葉
きっと天国にいる清美に届いて
きっと喜んでいると思います。
嵐さんのおっしゃる通り、きっと今は
清美、幸せに過ごしていると思います。
みなさん、ありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・


小学生の頃、中学生の頃 そして高校の頃
たしかにあの頃私達は
 多くのものと出会い 多くのものを愛し 
多くのものを憎み 多くのものを失い 
多くのものに感動し
エッチなことにときめき
誰かを愛し 誰かに愛され
誰かを傷つけ 誰かに傷つけられ
それでも春風のように
アっという間に駈けて行った気がします
青く広い空に、緑の木々に、
元気な笑い声を響かせながら・・


私のHPの表紙の詩より、一部引用

        

中学の時の話の目次

02/12/30 (月) 午後 9:37:23