★だじんさん
●小生が、未だ1年生にもなってはいなかった頃の銭湯での事。 
早々脱ぎ終わってしまった小生は、脱衣場を仕切る扉を開くと洗い場に飛び込んだ。 
その銭湯は湯船が奥の壁に沿う様に、そしてそれと直角に洗い場の両側男女の仕切り壁と、
その反対の窓側とそして川の字の様に真ん中にもつまり4列の洗いスペースがありました。 
そして何故か洗い場の中央を横切る様に排水溝が丁度川の字を串刺しする様に形成されていました。  
まあ、陽子さんに劣らず(イヤむしろ何倍もか?)エッチな子供でしたから女の子の割れ目なんてその年で
もう何人も知っていましたが、その時初対面した真正面でオシッコを迸らせるおまんちょの姿は今でも鮮明です。

それからの小生はと言えば、我が家のトイレ(水洗ですが汽車式と言われる和式便器で男女兼用型)の前で音を研究し、
シューという感じは母、ショーというのは上の姉、シーというのが下の姉と聞き分ける程になりましたが、
どうしても大人のオシッコを覗きたくて覗き穴をうがちました。 そこでは我が家の女性達は
勿論近所のおばさんや従姉や姉たちの友達の研究対象にさせて頂きました。

勿論、我が家のトイレののぞきだけではなく、いつもの秘密遊び仲間の女の子達とも割れ目を見せて貰ったり、
オシッコもするのも見せて貰っていました。
学校に上がると、例の女の子にも秘密の仲間にも会う様になりますよね。 
例の娘は商店街の飴屋の娘でした。 
他の秘密を共有していた娘達はお互い秘め事を共有している連帯感もありました。 
しかし、飴屋のその娘には一方的に秘密を知ってしまったと言う別の思いを抱いてしまったのです。 
全然好きでもない粉のに今も頭を離れよぎります。

1つ年下の仲良し君の妹のメグの事を、オシッコと言え場ですので。  
彼女はいわば連れション仲間です。
元はと言えば、或る日の遊びの途中兄貴がいなくなった時いつもなら家に連れて帰る相手のいなくなったメグが
「オシッコしたい」と言い出したのです。 
妹のいない小生は、「俺等みたいにそこでしなよ」と言ったら、
もじもじしながらも1人でオシッコを出来たので「1人で出来るんだ」とほめて上げた。 
褒められて気を好くしたのか、2人で遊ぶとよく連れションをする様になりました。 
特に出そうもなくても「またしたくなった」と言ってチョロッと立ちションすれば、
横で「メグもしよっと」と言ってスカートをめくりパンツを下げてしゃがむんです。 
当然の様に彼女もチョロッと出れば良い方。

可愛い割れ目のおまんちょです。
スベスベで、プックリしていました。  
ふかふかのあんまんを割り箸で切り分けようとした時に同じ感じを見た気がします。 
Rの大きな切れ込みで食い込んでいく割れ目でした。 
そこから迸るオシッコは可愛かった。
今もオシッコする下半身には興味が尽きません。
綺麗な割れ目が好きですねぇー。 乳は貧乳でもかまわないんです。
形が綺麗なら充分と思うのは、
我が家の女性陣が皆大きかったからなのかも知れません。
またと近い内に訪問させて下さい。

今でもあるのかどうか判りませんが、木更津(そうです、海ほたるの向こうの千葉県木更津)では、
潮の満ち干を利用した簾建てという漁がありました。
満潮で上がって着た魚が引き潮で沖に戻ろうとするのを巾着型に建て廻したヨシズ
(海の家などで日よけに使っているあれです)に取り囲まれてしまったのを
網や手掴みで捕らえるという遊漁?を父の会社の慰安旅行で毎年行っていました。  
みんなでわいわい捕った獲物を船上で調理して食べさせて貰ういわば船遊びの宴会と、
手掴み漁の楽しさを合体させたものでした。 その船は丁度屋形船をずんぐりとさせた感じで
幅は少し広めで長さが少し短い感じでした。  大人はビールや日本酒など、
子供はジュース類などを捕れ立ての魚の天ぷらや刺身と共に味わえる楽しい想い出のレクリエーションでした。 
朝からバスと船に揺られ、下半身を海水に浸かりながらひとしきりはしゃいで、
ノドも渇いていますから水分をタップリ摂ります。
船上の宴も半ばになると、トイレがそれなりに・・・。

処が、船にはトイレが一つです。 しかも今の遊漁船の様な立派な水洗トイレでなど無く、
仕切りも扉も有るか無しの粗末な囲いみたいな所に和式便器が据えられているばかりなのです。 
男は舳先や艫から立ち小便しちゃった方が好い位
(立ち小便は列車式の段差がない和式では狙い定まらず周りを汚すのがオチだからもあって)
なんですが女の人はそうも行きません。  海面からは丸見えですし、
とってつけた申し訳の様な囲いのトイレでもそこでする訳ですが、揺れるし、ヨロケたら便器に嵌っちゃう感じがします。 
人様々でも我慢の限界は似たタイミングですし、誰もが「なんか行きたくないなぁー」と怺えていますから、
タイミングが難しい訳ですね。

その頃の姉ちゃんは5年生で(夏休みを過ぎて9月の頃でしたかね)色々な恥じらいが芽生えていた時期でしたから、
「オシッコに行きたい」と言い出せずにいたのでしょう。  
「トイレについてきて」と小生に行った時には限界だったのでしょう。 
立ち上がりかけた姉ちゃんの今よりずっと厚手の水着の股間がジワッと濡れたと思ったら一気に・・・。  
ゴザに接する辺りの布がビタビタに水を含みながら膨れる様にオシッコを止めどなく滲み出しています。 
それは船の揺れるに任せながらゴザの上を見る間に水浸しにしていきました。 
放心した様に「漏れちゅった」と言う姉ちゃんを父は叱るでもなく慌てる出もなく睨む様にしながら
自分のタオルや姉ちゃんの肩に掛けたバスタオルを使って始末していた。 
気がついたお姉さん達が雑巾でゴザを拭いてくれたりした所為と潮の香り、
飲み物食べ物の臭いの所為かオシッコの臭いの記憶はない。
ただいつも以上に異様に姉ちゃんのアソコが気にかかった。 
それと布が水を含み膨れあがりやがて止めどなく水を滲み出し続けている光景が目に焼き付いています。

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