こんばんは。
今日は色々忙しくて
(大掃除もしましたし友達と食事も行きました)
夜も10時過ぎに友達が来るので
その前に来ました。
昨日の絹恵の話の続きです。
74日連続の更新です。


絹恵が学校の人気者になった事件があります。
高校の水泳大会のために
ちょっと遠くへ遠征に行きました。
その時は絹恵はメチャ元気だったんだよ。
ちょっと学校間でトラブルが発生。
話が長くなりますので詳しい話は省略しますが
簡単に書くと私の高校とA高校の間で
ちょっとしたトラブルが発生。
問題が大きくならないように両校で話し合っているときに
いきなり関係ないB高校の女性が口を出してきました。
なんか背も高くて体も大きくて
ド迫力の女性でした。
東北地方の高校だったので
東北の言葉で色々と口を出してきました。
私の学校の生徒もA高校の生徒も
その関係ないB高校の女性に
少しウンザリしていました。
それでも、その東北のB高校の女性が
東北のナマリのある言葉で
色々と口を出して来ました。

我慢できなくなっちゃった絹恵が
「あなたは黙っててよ!」って
文句を言うつもりで
その女性に対して
「あなたはナマっててよ!」
って言い間違え。
でもナイスな言い間違えだったみたいで
私の高校の生徒もA高校の生徒も大笑い。
「ナマっててよ!」って言われた女の子は
黙って消えていきました。
絹恵が言い間違えた!ってのは後で知りました。
でも絹恵の言い間違えで
A高校の水泳部の女の子と仲良くなって
たまにメール(携帯電話)の交換をしたり
今も年賀状のやり取りをしています。
あ!まだ年賀状を一枚も書いてないで〜す。

話を戻しますね。
絹恵の体を拭いてあげた日から2日程経った頃
またお見舞いに行きました。
でも、絹恵は熟睡中だったの。
絹恵のお母さんが近づいて来て
「陽子さん、いつもありがとう。
 今では陽子さんがお見舞いに来てくれるのが
 何よりも嬉しいみたいです」って笑顔で言った後
急に真面目な顔になって
「陽子さん、ちょっとお話しをしたいことがあるの」
って言うと
私を病院内の食堂に連れて行きました。
そこで、生姜焼き定食をご馳走になりながら
話をしました。

絹恵のお母さんは
「親よりも先に命を断つ娘を目の前にして
 もう悔しくて、そしてむなしくて
 悲しくて、寂しいです。
 親として何もしてあげられなくて。
 絹恵は、これから高校卒業をして
 これから色々とやりたい事がいっぱいあるのに。
 そんな絹恵が可哀相で・・・。
 絹恵は11月は迎える事ができるでしょう。
 でも12月は分かりません。
 新年は、もっともっと分かりません。
 親として何をしてあげたらいいのか?
 そんな事を考えていたら
 私って母親として絹恵に今まで何をしてきたんだろう?
 何をしてあげたんだろう?
 そんな事を考えていた時に
 積極的に愛情をもって接してくれる陽子さんを見て
 何か今まで忘れていた事を思い出した気がします。
 私からのお願いなのですが
 勉強や私生活に支障のない範囲内で結構ですので
 絹恵と一緒にいてあげてください。
 お願いします」
って言われて、私の手をギュって握られました。
お母さんも苦悩されていたんですね。

病室に行くと絹恵が起きていて
私と母親が一緒なのを見て驚いていました。
「陽子と何をしてたの?お母さん。私の友達取らないで!(笑)」
って元気に笑いながら怒っていました。

次の日、また絹恵の所に行きました。
私一人じゃなくて
もちち、ヤスポン、のんち、睦美も一緒でした。
そこでなんと絹恵が暴言!!
みんながいる前で、絹恵が
「この前ね、陽子にオッパイを拭いてもらった」
なんて言うんだよ。
そしたらヤスポンともちちとのんちの3人が
「イヤー、陽子、変態」って合唱して
病室がまた大笑いの渦に(笑)。
同じ病室の50歳代のおばさんが
「女子高生は元気でいいねぇ」って言ってました。

病院からの帰り道
ヤスポンが私の耳元で
「ねぇ、陽子。
 絹恵とエッチな関係なの?」
って聞いてくるので
「そんな訳無いじゃん。
 体を拭いてあげただけ。
 エッチしてるのはヤスポンだけだよ」って答えると
ヤスポンは「本当?」って嬉しそうに言うと
私のホッペにチュ!だって。
でもヤスポンは疑っているみたいで
「絹恵が退院したら、確認するからね」
って笑いながら言ってました。
ヤスポンも、もちちも、睦美も、のんちも、他の友達も
絹恵が、助からない重い病気って事、知らないの。
すぐにでも退院できるって思っていました。

そのお見舞いを最後に
2学期の中間試験があったり
文化祭の準備があったりして
約1週間の間
たった一週間の間だけ
お見舞いに行けなかったんです。
そしてテストの最終日の朝
「今日の学校帰りにお見舞いに行こう。
 絹恵に会いに行こう。絹恵喜んでくれるかな?」
なんて思っていた日の朝のことです。
最後にお見舞いに行った日から
1週間と1日が経ったその日の朝
先生が朝のホームルームの時に
「絹恵が亡くなったって家から連絡があった」って言ったの。
私は呆然として
先生に「すぐに病院に行きたい」ってお願いすると
先生は特別に外出を許可してくれて
「病院にはもういない、家に行きなさい」って言うので
タクシーを2台呼んでもらって家に行きました。
私だけじゃなくて
コニタンもヤスポンも睦美も日和もモチチも
みんなで行きました。
絹恵の家に着きました。
まるで何事もなかったように静かでした。
次の日の夜がお通夜らしくて
まだその日は家は静かでした。

家に着くと
お母さんから2通の手紙をもらったの。
絹恵からの手紙でした。
2通ありました。
2通とも短い手紙でした。
そして、私宛に綴った「詩集」もありました。
私も悲しかったけど
コニタンもヤスポンも睦美も日和(ひより)も綾も
みんな泣いていました。
ヤンキーだった睦美が
「私達を笑わせたり、泣かせたり。
 絹恵って忙しい子だなぁ」って言いながら
泣いていたのが印象的でした。

睦美もモチチもヤスポンも綾も日和もコニタンも手紙をもらってました。
私への手紙を紹介する前に
私への詩集を紹介する前に
睦美への手紙を紹介します。

絹恵から睦美への手紙です。
「睦美はカワイイ顔してるんだから
 恐い顔しないで笑顔でいなさいよ。
 勢いだけじゃなくて知恵も必要だよ。
 陽子から女性らしさについて学びなさい。
 これから高校卒業して色々大変だね。
 ねぇ睦美、
 私の代わりに陽子のそばにずっといてあげて」
こういう手紙でした。
その手紙を読んだ睦美は
「絹恵は、オレより根性張ってるよ」
って泣いていました。
(オレって言っていますが
 睦美は女性です)

もう二度と目を覚まさない絹恵の顔を見ました。
かわいいあどけない顔をしていましたけど
いつも元気に笑っていた睦美とは違って
無表情で無機質な顔をしていました。
胸は見えなかったけど
病院で見た絹恵の透き通るように綺麗でカワイイ胸が
鮮烈に思い出されました。

以前、NHKのプロジェクトXで
「白血病」の「骨髄バンク」の話がありました。
その中で、女の子が書き残していた手紙
「普通に結婚して、普通にお嫁さんになって
 普通に子供を産んで、普通におばあさんになって」
っていうのがありました。
絹恵も同じ気持ちだったと思います。
私はそのプロジェクトXを見ている時に
絹恵のことを思い出して
ずっと泣いてました。

今でも、睦美、ヤスポン、日和、綾、モチチなどと一緒に
お墓参りに行ってます。
絹恵がこの世を去ったのは
11月の事です。
が、あえてこの12月の暮れに更新しました。

私が絹恵のお見舞いに行けなかった
たった一週間。
でも絹恵にとっては
長い長いとても長い一週間だったんですね。
病室の中で、長い長い一週間
ずっと私を待っていたんですネ。
そんな絹恵の思いを
もらった手紙で知りました。
その手紙を掲載するね。
原文そのままです。

「陽子へ。
 今日はお見舞いに来てくれるかな?
 陽子がお見舞いに来てくれるのを楽しみに待ってま〜す。
 早く来て〜。
 陽子が来てくれないと息ができない感じなんだよ」

「陽子へ。
 私ね、もうだめみたい。
 もう会えないかな?
 学校忙しいもんね。
 でも70年たったら
 また会おうね
 約束だよ
 70年、ずっと待ってるからね
 だから陽子は、あと70年頑張って生きなさいよ
 ずっとずっと未来で、またコンビ再結成だね」


絹恵とのコンビ再結成の日まで、あと64年


絹恵の詩

生きている事と
死んでいる事と
どんな差があるのかな?
大きな差があるのかな?
そんなに差は無いのかな?
その事を知る旅に出るんだね、私。
そして、その報告を
陽子にしてあげたいな。
陽子は、なんでも知りたがりだから。
だから意地でも生き返ってきてやるぅぅぅぅ。

私は死にます。
お墓に入ります。
でもお墓に入る前に
したい事があるのかなって
考えてみたりした。
世界一美味しい料理を食べ尽くすとか
豪華客船で世界一周旅行をするとか
色々考えてみたけど
「死」と比べると
全然つまらないことのように思えた。
「死」と比べると、小さい事のように思えた。
じゃぁ、いったい何をしたいんだろう?私。
愛する人と結婚して
愛する人との間に子供を作って
私が生きていた証拠を残したかったな!
なんて事をよく思う。
陽子が男だったら
陽子に身を任せて
陽子との間にステキな子供を作って
私がこの世に生きていた証拠を
残しておきたかったな。
考えてみれば
私はバージンのままで
いなくなっちゃうんだね。
陽子にあげちゃおうかな?バージン。

退屈な病院のベッドの上で
陽子との漫才のネタを
いっぱい考えてみた。
でも、もう必要ないんだね。
せっかく絵を描きたい
なんて思ったのに
紙がなくなっちゃったような
絵の具がなくなっちゃったような
そんな気分だなぁ。

私が今度生まれ変われるなら
やっぱり絹恵がいいな。
優しいお父さんお母さん妹に囲まれて
そして素晴らしい友達に囲まれて。
何度でも絹恵として
生きたい。

泣かないで絹恵
泣くな私!
泣かないで笑って。
絹恵、笑って!!
お願いだから笑って

愛を知らずに死ななくちゃならないのが
一番悔しいな。
大恋愛とか大失恋とかしたかった。
大好きな人に思いっきり抱きしめられて
眠れぬ夜を過ごしたかった。

私が死んだことによって
新しい生命が誕生するなら
私は喜んで死んでもいい。
誰か新しい人生を歩んでいくなら
私は喜んで死にます。
その誰かも
私みたいに
優しい家族のもとに生まれて
ステキな友達いっぱいいっぱいに囲まれて
陽子のようなステキな友達を作って
2人で漫才をしたりして
素晴らしい人生を
歩んで欲しい。
決して、虐待するような親のもとに生まれず
いじめをするような友達のもとに育たず
暖かい環境の中で育っていって
犯罪を犯したり人に迷惑をかけたりしないで
誠実に生きてほしい。
そして優しい人と結婚して
明るい家庭を築いてくれる!って、約束してくれるなら
喜んで
私、死んでもいいよ。
そして、私の分も
いっぱいいっぱい生きて欲しい。


絹恵  11月某日 永眠

No.604

陽子の高校時代目次

03/12/29 (月) 午後 10:02:08