超こんばんは。
ただいまの時間、2007年6月10日、超深夜の午前2時ちょうどです。
深夜の2時から更新を書きたいと思います。
6月10日は、時の記念日、路面電車の日、
そして、1913年の今日、森永ミルクキャラメルが発売されたみたいです。
ちなみに、ロミオロメンさんは、路面電車が好きだったので
名前に「ロメン(路面)」が入ってます。って、そんなの皆さん知ってますよね。

実はね、今から2時間30分ほど前に、更新を書いてきたばかりですが
日曜日の朝から、水曜日の夜までは更新もレスポンスも、もしかして無理っぽいので
頑張ってもう1つ更新をしちゃおうかな?って思って
お風呂に入って、髪を乾かして、ベッドで日記を書いて
さぁ、寝よう♪って思ったのですが
頑張ってパソコンの前に座りました。
メチャクチャ眠いので、途中で寝ちゃったらゴメン!って事で
ちょっと頑張って更新を書いてみますね。

チャッチャと書かないと、午前3時になって、朝になって
「超こんばんは」から「超おはよう」って事になって
最低最悪!悲惨のヒっちゃん♪になっちゃうので
サクサクって簡単に書いてみたいと思います。

この話って、「女性同士の話」とは
ちょっとズレる話かもしれませんが
一応「女性同士!!」の体験なので
書かせてもらいますね。

大好きだったおばあちゃん、名前は澄さんです。
私の母の母です。
澄って「すみ」って読みます。
すみばあさんです。

私のHPで良く登場する豊子さんは
私の直接の祖母ではありません。
私の親の兄弟の結婚相手のおばあさんです。

子供の頃から「澄(すみ)おばあちゃん」には本当に可愛がってもらいました。
スミおばあちゃんの思い出話を書いていると
メチャクチャ長〜い更新になっちゃうので、省略させてね。
ただね、スミおばあさんには、ステキな言葉をいただきました。
私の人生の「大切な言葉」の1つとして大切にしていきたい言葉です。
この言葉は、私の母にも良く言っていたそうで
私の母も「私の座右の銘」として大切にしています。

その言葉ってね
「紐が絡まってしまったら、何時間かかっても、何日かかってもいいから
 ゆっくりと解いて(ほどいて)行きなさい。
 紐が絡まった時、面倒くさい!と腹を立てて紐を切ってしまったら
 紐を引きちぎってしまったら、
 もう紐は二度と元に戻らないんだよ」
って言葉です。

実はね、私が中学1年生の時、澄おばあさんに可愛いネックレスをもらって
そのネックレスのチェーンが絡まってしまって
でもどうやってもチェーンがほどけなくて、
もう頭にきてイライラして、引っ張ってしまおうと思った時に
おばあさんに言われたんです。
おばあさんは、約20分ほどかかってチェーンの絡みを取ってくれました。

今の時代って、「バツイチ」なんて軽いノリで離婚を表現していて
実際に些細な事で離婚している人っているんですよね。
まるで「バツイチ」がカッコいい!って思っているみたいな感じします。
ちょっと夫婦の紐が絡まっただけなのに
時間をかけてもいいから紐を解いていこう♪っていう考えよりも
「面倒くせぇ!」って感じで絡まった紐を引きちぎってしまって
離婚する夫婦って多いような気がします。
そんな簡単に離婚しちゃっていいのかな?

夫婦だけじゃない、恋人同士でも友人同士でも
何か些細な事があっても、すぐに絶交!破滅!しちゃうでしょ?

人間関係だけじゃなくって
たとえば誰かが何か目標に向かって頑張っていても
何か面倒くさい事や厄介なこと、大変な事に遭遇すると
すぐにあきらめたり投げ出したりしていたら、いつになっても
前に進まないと思うんです。
何時間かかっても、何日かかっても、
絡んだ紐をほどいていく。これってとても大切な事だと思います。

その事を私と、私の母に教えてくれたのが
澄オバアチャンでした。

すみオバアチャンとは、小学5年生頃までは
私が遊びに行くと一緒にお風呂に入ったりしていました。
小学5年生の時、最後に一緒にお風呂に入った時
私の少しだけ膨らみはじめたばかり胸を見て
「陽子も可愛いオナゴになったの〜」って言って
私の頭を撫でてくれました。

おばあさんが倒れたのは、私が高校2年生の時。
秋でした。

病室に行くと、おばあちゃんが寝ていて
でも目が見えない状態でした。
一人部屋(個室)の病室のベッドで、ポツンって感じで寝ていました。

今までベッドで寝ていたおばあさんが突然起きると
いきなり「陽子、陽子は居るのかい?」って聞いてきました。
私が
「ここにいるよ。
 おばあちゃんの目の前にいるんだよ♪」って言いながら
肩を撫でてあげると
「おお、陽子か、来てくれたのか」って喜んでくれたのですが
突然
「陽子、おばあちゃんに陽子のオッパイを触らせてくれないかい?」って聞いてくるんです。
私は、凄い抵抗あったけど、大好きなおばあちゃんのお願いだったので
それに、おばあちゃんは目が不自由だったので、見せてもいいかな?って思いましたので
父も母も妹も、そして看護婦さんなども全員病室から出てもらって
私とおばあちゃん2人きりになりました。
私は服をめくり上げて、ブラを外すと
おばあちゃんの手を取って、私の乳房を直接触らせてあげました。

私の乳房を触っていたおばあさんは
「陽子も、ステキなオナゴになったの〜。
 ステキなオッパイだなぁ。
 これじゃ男からも引っ張りだこだろ?
 陽子、これから色々な仕事をしたりするかもしれないけど
 仕事が楽しくても、仕事が順調に行っても
 仕事もホドホドにして
 ステキな男を見つけて、可愛くて丈夫なヤヤ(赤ちゃんの事)を生んでくれよ。
 それがおばあさんの願いだ。
 陽子のヤヤの顔が見れないのが残念だけど
 ステキな男を見つけて、丈夫で元気なヤヤを頼むよ。」
って言いと
私のオッパイを撫でていた手をピタって止めると
「スベスベでいいオッパイだなぁ。ありがとうよ」
そう言って、今度は私の手をギューっと握ると
「陽子は自慢の孫だよ。おばあさんは嬉しいよ」って言って
満足した様子でした。

澄ばあちゃんは、私の胸を撫でるように触っている時
乳首が指や手のひらに当たると
意識して乳首から手や指を離してくれて、気を使ってくれていました。
年をとっても、そして目が不自由になっても
澄おばあさんは女性なんですよね。
繊細な気持ちを持って私の乳房を触ってくれました。

澄ばあちゃんが満足して私の胸から手を離したので
すぐにブラや服を直すと、両親と妹、看護婦さんを部屋に入れました。
その帰り、病院の廊下で
母は「本当におばあちゃんに胸を触らせたの?」って聞くので
「うん、喜んでたよ」って答えると
「おばあちゃんも嬉しかったと思うよ。
 陽子、恥ずかしくて辛かったと思うけど、我慢してくれてありがとう」って母は言うと
涙目で私をギューって抱きしめました。
そして私を抱きしめたまま母や肩を震わせて泣いていました。
母も、母親のことが悲しかったんだね。
私から見れば「おばあちゃん」ですが
母から見れば「子供の頃から育ててくれたお母さん。大切なお母さん。大好きなお母さん」なんだよね。
私だって、母がもし病気で倒れる事になってしまったら凄い悲しいもん。

次の週末に、またお見舞いに行こうって思っていたのですが
私の胸を触ってくれた日からたった2日後に
澄オバアチャンは、天に召されました。

おばあちゃんに胸を触られたその日からは
インフルエンザなどには、なっちゃいましたが
大きな病気も、そして事故も怪我していません。
おばあちゃんが胸を撫でてくれたからだと私は思っています。
お墓参りは毎年2回行ってます。

でね、おばあちゃんへの恩返しっていう意味で
ステキな男性と協力して
元気で健康で丈夫なヤヤ(笑)を生んで
澄おばあちゃんのお墓の前でご報告したいと思っています。

今現在、彼女や奥様と、ちょっとイザコザなどあって
紐が絡んでしまっているあなた。
「もうダメだ!」とか「もう終わりだ!」「別れよう!」って感じで
紐を力任せに引っ張って、切っちゃったりしないで
安易に簡単に破滅的な解答をを出さないで
何時間も何日もかけて、紐を少しずつ解いて行って下さい。
それが「優しさ」であり
それが「愛情」であり
それが「強さ」だと思います。
冷静になって、忍耐強くなって
大きな優しさで、そして暖かい大きなココロで紐を解いて行って下さい。
私の大好きだった「澄」おばあさんからのメッセージです。

皆さんもステキな日曜日を過ごしてね。
午前2時35分、書き終わりました。
もう限界ダウンです。寝ます。バイバイキーン♪
No.1730

07/06/10 (日) 午前 2:35:27

陽子の新・女性同士の話。目次