こんばんは。
水曜日の夜です。
昨日、火曜日の夜は友達のフーちゃん(風奈:ふうな)と楽しい夜を過ごしました。
フーちゃんとはエッチな関係じゃないよ。
ですので、あまり私のHPに登場しません(笑)。

昨日の「ぷっすま」で、飯島直子さんが「オナニー」なんて
公共の電波で、恥かしそうに言っているので、二人で笑っちゃいました。
「ぜったいこの人オナニーした事あると思う」って、フーちゃんが大胆発言してましたよ。
でね本当はね、いつものように朝、更新するつもりだったんだけど
友達が早起きしちゃったので、更新は無理でしたぁ。
って事で、夜の更新で〜す。
二度目の101日連続更新です。

戦時中は、思春期の敏感な年頃の女の子、11歳〜13歳位の女の子の
世間や学校、家庭での扱いって
最悪なものだったようです。

これは、男性・女性関係ない事ですが
当時は、ノンキに洗濯なんて時代でもありませんでしたし
物資が無かった時代ですので、下着も一人1着か2着くらいしか持っていなかったそうです。
ですので、年頃のおんなのこであっても、
そして二十歳くらいの女性であっても
何日も何日もずっと同じ下着を穿いていた!っていう場合も多かったそうです。
そして、12歳以下の女の子は、物資不足を理由に
下着を穿かない(穿けない)女の子も多くて
モンペというズボンの下は、ノーパンだった女の子が多かったそうです。

それから、物資不足のために
女の子はブラなどは一切無く、ノーブラ状態。
13歳くらいの女の子も、二十歳の女の子も、30歳代の女性も
ほとんどの女性はノーブラ状態だったそうです。
そして、ノーブラ状態だけならまだいいのですが
女性用の下着用のシャツなども無く
男の子のランニングシャツを着ていた場合が多かったそうです。
男の子のランニングシャツを、ノーブラの女の子が着ると
胸(乳房)の大部分は露出してしまって
乳首だけをなんとか隠す程度の状態で
年頃の思春期の女の子は、とても嫌がったのですが
学校の先生も、家庭の親も
「頑張ってお国のために戦っている兵隊さんの大切な服(軍服)のために
 あなた達は我慢しなさい。
 ワガママを言わずに、兵隊さんのために祈りなさい」
みたいな事を言っていたそうです。

でね、それでも、男の子用のシャツを着ることができる女の子や
何か衣服を着れる女の子は幸せだったそうです。
実は、かなり戦況が悪くなった1944年以降は
上半身だけ裸で過ごした女の子もいたそうです。
さすがに大人の女性は衣服を着ていたそうですが
15歳以下の女の子は、上半身裸で過ごしていた地域も
実際にあったそうです。
多感で敏感な思春期の女の子(12歳〜13歳位の女の子)も
自分の膨らみかけた胸をあらわにして、生活をしていたそうです。

それから、これは学校の教育の一環として行なわれていたことだそうですが
教室で、先生が
「男子も女子も、今は関係ない。
 みんな天皇陛下様に命を捧げた身である!
 恥かしい!などという甘ったれた気持ちを捨てて
 お国のために生きなければならない。
 恥を捨てるのだ!」って言いながら
12歳〜14歳位の、思春期の男子、女子に
教室で上半身ハダカにさせて
勉強を受けさせた!っていう、そんな学校も実際にあったそうです。
まだ膨らみかけた幼い乳房を、クラスの男子の前で、そして先生の前で露わにして
12歳前後の女の子が、勉強をした。
そういう時代が、実際にあったんですね。

そして、家に帰っても
恐い封建的な父親がいる家庭では
娘の羞恥心や敏感な心などは一切考えずに
「上半身、ハダカで過ごせ!恥かしいなどと思うな!」と命令して
家庭の中でも上半身だけハダカで過ごした。
っていう女の子も、実際にいたそうです。
家族のお父さんやお兄さん、弟達に
思春期の膨らみかけた胸を
見られながらツライ思いをして、でも必死に我慢をしながら
生活をしていたんだと思います。
No.1458

陽子の家族の話、目次

06/03/29 (水) 午後 10:33:15