おはようございます。
木曜日の朝です。
今週も、後半戦に突入ですね。
今日は、広い地域で、暖かい1日になるみたいですね。
時間が無いので、さっそく本題に入りまぁ〜す。
二度目の95日連続更新です。

昨日の更新で、衝撃的な話を書きました。
私も、この話を聞いてビッ栗しちゃいました。
でね、その続きです。
もっともっと衝撃的なことを聞きましたので、その話を書くね。

当時の戦争中の日本、男性は25歳を過ぎても童貞の男性が多かった時代だそうです。
風俗などで性の遊びをしているようなノンキな時代でもありませんでしたし
男女交際も、自由に行なえる時代でも無かったからでしょうか?

赤紙(召集令状)が息子に届いて
明日から戦地に行く、まだ童貞の息子に対して
母親が初めての女性として、性行為をする。
これが、世間では暗黙の了解として、蔓延していたそうなんです。
作り話、妄想の話のように聞こえますが
豊子さんの話ですと、実話のようなんです。

18歳くらいの息子が、戦地に行くことが決まったその日。
良くあるパターンが
母親と息子が、一緒にお風呂に入るんだそうです。
「明日から出兵だから、お母さんがカラダを洗って、清めてあげる」
なんて言いながら(豊子さんが、そう言ってたんだよ)
一緒にお風呂に入って、母親と息子が裸になって
お互いのカラダを洗いっこ。
そこで、まず1回、息子のペニスを刺激して、射精させてあげるそうです。

でもね、今ねインターネットに氾濫しているような
興奮と欲情と欲望と性欲に満ちた状況では無くて
生か死かの極限の冷酷で残酷の状況下での
悲しみと苦しみを伴った状況下での
親子愛かな?って思います。

そして、お風呂から出たら、母親が息子さんと一緒に寝るそうなんです。
でね、ほとんどの家庭では、父親は戦地や軍事工場などに狩り出されていて
家には父親がいない状態が多かったそうです。
母親が、まだ童貞の息子さんの、初めての女性として
性行為をする。
そして、息子がいた!という、しっかりとした証のために
息子さんには、膣の中で射精させて、
息子さんの子供を作る。それを証とする。
そんな「許せられない」行為を行なう家庭も、多く存在したそうです。
そして、その行為は、息子の証を得るためだけじゃなくて
童貞のまま死んで行って欲しくない!っていう、母親の愛情も
あったみたいです。
性欲だけの近親相姦じゃなくて
命をかけた極限のドラマ、極限の親子愛なんですね。

終戦の年の1945年
子供の出生率が少しあがり
戦争が終わってすぐの1946年、ベビーブームが起こり
それ以降、しばらくベビーブームが続いたそうです。
でね、豊子さんの話ですと
終戦の年(1945年)と、次の年(1946年)に生まれた子供のうち
約30%近くは、息子さんとの性交渉で生まれた子供の可能性がある。
って、行ってました。
でね、その証拠として
豊子さんの周りの家でも
父親は2年前に家に居ない状態(戦地に出兵、または戦死)の家で
30歳代後半〜40歳代の母親が赤ちゃんを出産している!っていう事実。
そして、出産の約10ヶ月前に、息子さんを出兵させているという現実。

当時、豊子さんの周りでも、
お兄さんやお姉さんを産んでから、約18年〜20年も経過した時期に
そして戦争の後半や終戦直後に妹や弟が出来た家
しかも、30歳代後半〜40歳代などの高齢出産(当時)の家が
とても多かったそうです。
っていっても、そういう家が、全部が全部、息子さんとの性交渉で
生まれた子供!って事じゃないと思いますが
かなり確率が高いみたいです。

この私のHPに、戦争後半や終戦直後に生まれた方って、あまり来ないと思いますが
もしもあなたが戦争後半や終戦直後に生まれた方で
もしもお兄さんやお姉さんと15歳〜20歳以上も年齢が離れていて
そのお兄さんが戦争に出兵した経験があって
もしもお母さんが30歳代後半以降に、あなたを出産されている場合は
あなたより15歳〜20歳年上のお兄さんとお母さんとの間に生まれた子供かもしれません。
なんか、エッチな話しって感じじゃなくて、サスペンス調のお話っぽいね(笑)

どちらにしても、戦争って、残酷なものですよね。

でね、でね、実はね、まだ続きがありますが
続きは後日書きますね。
No.1452

陽子の家族の話、目次

06/03/23 (木) 午前 7:05:56