おはようございます。
水曜日の朝だよ。
昨日の春分の日は、楽しく過ごせましたか?
私はメチャ楽しく過ごせましたぁ。深夜1時に帰宅しちゃいました。
不良娘でゴメンなさい。
本当は深夜に更新しようかな?って思ったのですが
睡眠大魔王から強いオファーがあって
でもそのオファーを断って、頑張って書こうかな?って思ったのですが
睡眠大魔王からの強いプッシュ!プッシュ!があって
それに負けて、寝ちゃいました。
今朝はチョット眠いです。
って事で、2度目の94日連続更新です。

昨日の更新で
近親相姦って、大人の性的なファンタジー
近親相姦って、大人の性的なメルヘン。
でも、
私の親戚の、かなりの年配の豊子さんの話ですと
戦時中では、近親相姦(その時代は、そういう言葉は無かったそうです)が
普通に存在していたそうです。
っていう話まで書きました。

今から書く話は、親戚の豊子さんから聞いた話です。
第二次世界大戦(太平洋戦争)の時
日本では、近親相姦というアブノーマルな行為が
普通に蔓延していたそうなんです。
暗黙の了解って感じで、多くの人が行なっていたそうです。
実はね、この話し、豊子さんっていう、いま80歳代のおばあちゃんに
聞いたんです。
もちろん豊子さんからは「近親相姦」なんていう難しい単語は
出なかったよ(笑)。

豊子さんの話しですと、
戦時中、若い10歳代後半〜20歳代の男性が
赤紙と呼ばれた「召集令状」によって
兵隊に選ばれ、戦地に送られていたそうです。

第二次世界大戦(太平洋戦争)での日本は
ハワイの真珠湾での戦争は勝利を収めたものの
その後の戦いでは、ほとんど負けの状態。
つまりね、ハワイの奇襲攻撃だけに勝っただけで
後は、ほとんど負けの連続。
どんどん負けっぱなしで、
ミッドウェイでの戦いで負けが決定的になった。
そんな戦争だったみたいです。
赤紙という召集令状によって戦地に送られた若い兵士も
戦地に行ったら、生きて帰ってこれる可能性は
かなり低かったそうです。
今の自衛隊の復興支援とは大きく違って、危険や「死」が当たり前の世界。

家族の人も、もちろん戦地に行くことになった若い男性も
そのことは覚悟の上だったそうです。
本当は、行きたくないし、家族の人も息子さんを生かせたくない。
でも、当時「召集令状、拒否」なんて事をしたら
非国民!スパイ!などと言われて、ひどい目に遭わされたらしいので
家族の人は「バンザイ!バンザイ!」って言いながら送り出したそうですし
本人も「お国のために頑張ってきます」って胸を張っていたそうです。
でも決して本心じゃないんだよね。

まだ18歳くらいの息子が、召集令状を受け取り
明日から戦地に行く。
つまり、「死」に行く!って事。
母親としては、かなり悲しくツライ瞬間なんだと思います。
母親としては、「息子が生きていた証(あかし)が欲しい」
そんな気持ちが強かったと思います。
今のようにビデオカメラもデジカメも無い時代。
どうやって証を残すのかな?って思ったのですが
豊子さんの話しですと
一番多かったのが、母親が息子のペニスを刺激してあげて
母親の手で射精まで導いて、その息子の精液を、タオル(手ぬぐい?)に染み込ませ
それを証として残した。っていう事です。
最後の日の夜、一緒にお風呂に入ったりして
そこで息子さんの、まだ女性を知らないキレイな?勃起を刺激してあげて
射精させ、その精液を大切に保管しておくそうです。
ウソみたいな話ですが、実話らしいです。

でね、更にウソみたいな話しですが
豊子さんの話ですと
息子さんのペニスを手で刺激してあげて
射精寸前になると、母親が口でペニスを咥えて
息子の精液を口に入れ、飲み込むことで
息子の存在をしっかりと確認した。
っていう事も、実際にあったそうです。
凄いね。
戦争という極限状態、命をかけた極限状態での
美しくも、壮絶な性的行為だね。

私は、豊子さんの話を聞いて
「マジ?」「え〜!」「びっくり!」って言いながら聞いていました。

でねでね、もっと衝撃的な話を聞きましたが
それは後日書きますね。
No.1451

陽子の家族の話、目次

06/03/22 (水) 午前 7:15:06