おはようございます。
今日もメチャ寒の朝です。木曜日の朝です。
今日は、朝早くからお出掛けで、時間が無いので
さっそく本題に入りますね。
39日連続更新です。

昨日の更新で
江戸時代には、女性用のオナニーグッズ
通称「張り型」と呼ばれるものが流行っていて
最初は、江戸城にある「大奥と呼ばれる、女性だけの施設」で
使われるようになったそうですが
やがて、一般市民の上流階級の女性にも浸透するようになり
歓楽街では、遊女の技術の伝授などに利用されました。
っていう更新を書きました。

その話の続きを書きますね。

外国、特にヨーロッパの国々では
同性愛というものは禁止されていたそうです。
それは、キリスト教の教えによるものらしいです。
でも、まだキリスト教が入ってくる前の日本では
そして、鎖国をしていて外国との交流がなかった日本では
女性同士、そして男性同士の同性愛は
ごく普通の関係として、とらえられていたそうです。

鉄道も船の交通も無く、徒歩だけが交通の手段だった江戸時代以前の日本では
夫婦で旅をしているのであれば、宿場町の宿で
夫婦で性交渉が出来ましたが
男性同士で旅をしている人たちは
男性同士で慰めあったりしていて
それがごく普通だったそうです。
っていっても、男性のお尻にペニスを入れたり!っていうような行為ではなくて
お互いのペニスを手で刺激し合って、射精に導く方法が主流だったみたいです。
そして、女性同士で旅をしている人は
女性同士で、指で刺激し合ったり
舐め合ったり、時には張り型(性具)を使ってエッチをしていたそうで、
それはごく自然な事として、受け入れられていたそうです。
でね、今、「夫婦で旅をしているのであれば、宿場町の宿で
      夫婦で性交渉が出来ましたが」
みたいなことを書きましたが
この話を読んだ方の中には
「なぜ旅先の宿で、エッチしなくっちゃならないんだ?
 別にエッチなんてしなくてもいいじゃないか!」
って思った方もいらっしゃったと思いますが
今の時代のように、宿の部屋には、テレビも無かったですし
その宿泊施設にはゲームセンターコーナーも無く、
ボーリング場も無く
雑誌や週刊誌なども無く
インターネットコーナーも無い時代ですので
その時代の「楽しみ(娯楽)」は、観劇、そしてセックスだったみたいです。
ですので、男性同士、女性同士で宿泊している人は
自然に「同性での慰め合い」が始まってしまったらしいです。

そして、大奥では、女性同士で慰めるために
そして歓楽街でも
吉原という歓楽街において
遊女としての「技能伝授」「技能向上」「技能鍛錬」などのために
同性愛的行為が行われていて
遊女同士が、お客様(男性客)を喜ばせるための技術や技能を向上したり
伝授したり、訓練、鍛錬するために
オナニーグッズを使ったり
同性の女性同士でデモンストレーション(実演模擬)のために
レズ行為をしていたそうです。
って、この話も、昨日書いたね。

でね、当初、このマスターベーション器具(張り型・性具)は
女性が使用していたものでした。
女性一人がこっそり使っていたり
女性同士がお互いの性器に使ったりって感じで
女性のみが使っていたものでした。
最初は女性のマスターベーション用として用いられていた張形(性具)
そして、女性同士の愛撫の時に使われていた張り型(性具)ですが
やがて、男性の興味を惹き
時代の流れとともに、男性と女性の性行為(性交渉)の時に
男性の手によって、女性の性器に使われるようになっていったみたいです。
女性のための道具?が、男性に奪われちゃったんですね。

って事で、
あくまでも女性のための、女性によってのみ使われていた張り型(性具)が
男性と女性の性行為(セックス)の時に
楽しむためのマシーンとなっていったみたいです。

でね、その「女性のための張り型が、男性の手に渡った」時期は江戸時代の後期から!とか
明治に入ってからとか言われていますが、
信憑性のある資料によると、明治時代に入ってから、そして大正時代にかけて
張り型(性具)は、男女でのセックスを楽しむためのアイテムに
そしてプレイの1つに、移り変わっていったそうです。

ゴメンなさい、本当はね、まだまだ書きたいことあるんですが
時間がなくなっちゃったので、また後日書きますね。
今日も朝はメチャ寒いですYo。
No.1396

陽子式性教育論・目次です

06/01/26 (木) 午前 7:02:36