OH!HOW!陽♪ございます。
水曜日の朝です。
超寒い朝ですが、頑張って早起きしましたぁ。
今、私の部屋で友達が寝ています。
昨日は楽しい夜を過ごせましたぁ。

友達が起きちゃうと困っちゃうので
さっそく本題に入りますね。
38日連続更新です。

昨日の更新で
大奥では、女性同士の同性愛が広がった。
っていう話を書きました。
でね、それに関係する話をちょっと書きますね。

大奥でマスターベーション用器具が使われていたのは確かなことらしくて
江戸城の大奥では、その器具が、けっこう大量に実際に発見されているそうです。
その器具を使って、女性同士がお互いの性器を愛撫したらしいのですが
大奥で広がったとと同時に
吉原という歓楽街にいる女性(遊女?)の間にも
広まりました。っていう話も昨日書きましたが
吉原では、客を取れない遊女たちが欲求不満を解消するために
使っていたそうですが、それだけじゃなくて
実は、訓練!模擬演習?として
オナニーグッズを使っていたり、女性同士がエッチをしていたらしいです。
つまりね、吉原という歓楽街において
遊女としての「技能伝授」「技能向上」「技能鍛錬」などのために
同性愛的行為が行われていたそうです。
遊女同士が、お客様(男性客)を喜ばせるための技術や技能を向上したり
伝授したり、訓練、鍛錬するために
オナニーグッズ(張り型・性具)を使ったり
同性の女性同士でデモンストレーション(実演模擬)をしていたそうです。

今の時代では、あってはならない事だと思いますが
江戸時代の吉原という歓楽街には
まだ14歳〜15歳くらいの何も性の知識がない少女達が身売り(恐)されたりして
そこで男性客を取ったりした時代だったようです。
でね、そんな何も知らない少女達に、
性の技術や技能、そして知識などを伝授・指導する役目として
専属の女性が居たそうです。女性教官(笑)。
その女性が、初めてお客を取る女性達に
マスターベーション用器具を使用したり
実際にその女性教官が、その女の子とエッチして
性の喜びを教えたりしたらしいです。
どうも、そんな文献が残っているみたいです。
つまり、公認で、完全なレズ行為をしていた女性です。
私も、こういう仕事をしてみたぁ〜い!!(笑)

こういう話を「その時 歴史は動いた」で、やって欲しいですね(笑)。

昨日の更新にも書きましたが
最初は、大奥や歓楽街の遊女達だけに愛用されていたオナニーグッズ
ある資料では「性具」「張り型」と呼んでいたそうですが
その性具・張り型も、庶民の間にも流行っていったそうです。
当時の時代は、女性の処女性が大事にされていた時代で
結婚前に性交渉をした女性を
「ふしだらな女」「傷もの」「ばいた」などと呼ばれていたそうです。
結婚前に処女を失ったものは
「もうお嫁に行けない」って泣き伏したり、命を落とした女性も多かったそうです。
男性の童貞性は、まったく意味がなかったみたいです。
そんな時代、「男女7歳にして席を同じにしない」みたいな時代
男性は、年頃になって、お金を自分で儲けられるようになったら
歓楽街に行って、遊女と呼ばれる女性と性交をしていれば良かったそうですが
女性は、年頃になっても男性と遊ぶわけにもいかないので
一人寂しく性具を使って自分の性器を刺激して、欲求不満を解消したり
女性友達とエッチをしたみたいです。
これも文献に残っているみたいです。
男性と性交渉をしたことは一度もないのに
性具によって処女は失っていた。そんな女性が多かったのかもしれません。

その時代、嫁入り前の女性が、男性と一緒にいることは厳禁だったそうですが
女性同士で一緒にいることは、何も問題が無かった時代だったので
女性同士で慰め合っていたそうです。
私達の大先輩ですよね。
男性と女性が、気軽に自由に出会うことが出来なかった時代で
性的欲求不満の解消の相手が、同性の女性であったとしても
異常なことじゃなくて、自然なことだと、私は思います。

でね、もっと時代をさかのぼって、戦国時代などは
戦(いくさ)で家に夫がいない家庭が多くて
あるいは戦死してしまう夫も多くて
そんな時は、となりの奥様と女性同士の同性愛でお互いを刺激し合って
満足していた。
っていう文献も残っているそうです。

今日も寒い1日になりそうですが
風邪などに気をつけて頑張ろうね。

友達のために、朝ご飯を作りたいと思います。
じゃぁ〜ね。
No.1395

陽子式性教育論・目次です

06/01/25 (水) 午前 6:48:16