おはようございます。
火曜日の朝です。
冬のゴミ捨ては、根性が必要で〜す。
もう捨ててきたよ。
相変わらず寒い朝ですね。
今夜は、久し振りに火曜日の女、エリチンが来ます。
2006年初めての対面で〜す。
今日はエリチンが何か美味しい物を持ってきてくれるみたいなので
食事を作らなくてもいいので、ラッキーで〜す。
って事で、37日連続更新です。

寒い今朝の更新は、
女性用のオナニー道具の歴史を書きますね。
オナニー道具って、今で言うと「バイブレーター」みたいな物です。

その女性用のオナニー用(マスターベーション用)アイテムが
江戸時代には多く広まっていて
っていう事実、知っていますか?
古い出土品の中には、どうみてもオナニーアイテムと思われる形が
けっこう出てくるそうです。
でもね、歴史の教科書や資料、または地域の資料館などには
残念ながら登場しません。
教育上不適切!、道徳上不適切!っていう観点と
歴史を学ぶ上で不要なもの!っていう考えから
マスターベーションアイテムは歴史から抹殺されているようです。
でね、この昔の「女性用オナニー用アイテム」の事を
「張り型(はりがた)」って呼ぶそうです。
なぜ張り型って呼ぶのかは、分かりません。

色々な説があるそうですが
飛鳥時代には、もうその「張り型」は存在していて
九州で出土したらしいです。
青銅製で、男性のペニスと同形みたいですよ。
見てみたいね(笑)
その青銅製の自慰道具(笑)は、中国の唐などから輸入されたそうですが
奈良時代になると、日本でも作られるようになったそうですが
使われたのは豪族や天皇家、権力者などの女性たちに限られていたそうです。
今風に言いますと、セレブの女性の間だけに
マスターベーション器具が広まった!ってことです。

江戸時代(安土桃山時代)になると、大奥と呼ばれる「女性だけの施設」でも
使われるようになったそうです。
っていうか、大流行になったそうです。
大奥の女性たちは、江戸城の特別な場所に居住して
たまに幕府の権力者や将軍家の人の相手をしたりする程度で
性的な相手として駐在していたのに
相手にするのは、人気のある女性でも1ヶ月に数回程度で
人気がない女性は、半年もの間お呼びがかからないこともあったそうで
しかも厳重な男子禁制な場所だったので
日頃の性欲を癒すために
大奥では、当たり前のように、オナニーアイテムが広くひろまったみたいですよ。
日常的な必需品。
映画やドラマなどでは、まったく描かれていないようですが
実際は、大奥内では、そのオナニーアイテムの話をしたり
時にはもしかするとその道具の交換とかしたり(これは私の想像だよ)

でね、大奥などで広まった事は、もう1つあります。
それが、女性同士のレズ(ビアン)の世界です。

大奥で、オナニーアイテムが使われていた!っていうのは
紛れも無い事実のようですが
大奥で、女性同士のレズビアンが広まった!っていうのも
紛れも無い事実のようです。
でね、そのきっかけとなったのが
そのオナニーアイテム(マスターベーショングッズ)です。
最初は、一人こっそりとしていたんだと思いますが
そのうち、大奥の女性達が、お互いに見せ合ってしたり
見せ合っている相手の女性のマスターベーショングッズを手に持って
その人の代わりに動かしてあげたり
そんな感じでスタートしたのが、エスカレートしていったんでしょうね。
女性が大勢いるのに、そこは欲求不満な状態だったら
やっぱりオナニーやレズなどに発展しちゃうんでしょうね。
自然の成り行きかな?って思います。

でね、この大奥で使われたオナニー道具
今までは一部の豪族や権力者などに限られていたのですが
やがて世間の人に伝わり、広くひろまっていったそうです。

今のような、10歳代の若い男女が
気軽にお付き合いしたり出来ない時代。
でも、男性は気軽に吉原?という場所に行って
女性と気楽にエッチが出来るけど
10歳代の嫁入り前の女性は
性的満足を得られることが無理だったので
このオナニーアイテムを利用したそうです。

同じく、一部の豪族などから広く一般市民に広まったものが
春画と呼ばれるエッチな絵本だそうです。
男性器も女性器もバッチリ!クッキリ!描かれていて
男性のオナニー道具として広まっていったそうですが
母親が嫁入り前の娘に、性教育の資料として渡していた!
っていうことも、文献などに載っていて事実だそうです。

春画の存在は、とりあえず公開されていますが、
自慰道具の事も、春画の存在も
歴史の資料や文献からは、抹殺されてしまっているみたいですね。

今日も寒いので、
風邪などに気をつけてがんばろうね。
No.1394

陽子式性教育論・目次です

06/01/24 (火) 午前 6:51:18