とても晴れた日。
カーテンをうっかり開けたまま眠っていた。日差しは柔らかくて気持ちのいい陽気、鳥が元気よく啼く声で目が覚めて、俺は身を起こした。今日は特に用事も無くって、起きた姿のままkitchenに立ち、フライパンに火をかけて卵を落とす。かぽりと蓋をして、その間にコンロのもう片方を利用してもう一つフライパンを火にかける。そっちにはパン。次第に漂ってくる香ばしい匂いに鼻がひくひく動いて我慢できなくなっちゃって、あんまり焼けてないけどフライ返しでひょいとトーストになったパンを皿に移し、その上に目玉焼きを乗せた。
この間観たアニメでこういう食べ方をしてたもんだから、なんとなく最近真似して食べてるけど、最初に目玉焼きだけ食べちゃうとあとは普通のトーストなんだよねぇ。だからちゃんとずれないように一口ずつちゃんと噛み切って食べようと思うんだけど、どうも上手くいかなくていつもトーストだけ残っちゃうし。
今日もトーストを半分も齧らないうちに目玉焼きは無くなってしまって、仕方なくジャムを塗り直して今日は何して過ごそうかと考えながら齧っていたら、携帯が鳴った。普段ならけたたましいとは思わないその音も、起きて間もない頭にはかなり不快に響く。
この着信音はGodだ。なんだろう朝っぱらから。またパシリ要請かな?いくら恩があるからって、まったく人使いが荒いんだから…朝ごはんくらいゆっくり食べさせてちょうだいヨ。
そう思って嫌々取った電話口からは、思いがけない言葉が聞こえた。
「Hello?」
『今すぐグリーン宅に来い。体調崩してツブれてる』
「…え?」
言葉の衝撃の大きさに、内容までは理解できず間の抜けた声が聞き返す。電話口の向こうの相手は、さして苛立つ様子もなく淡々とした口調で同じ内容を繰り返した。
「だから、グリーンが倒れたから今すぐ来いって」
今度は台詞を最後まで聞かずに俺は通話も切るのも忘れて、携帯を放り投げた。携帯が床とkissをするカシャンという音を背に、手近にあったジーンズとシャツを身に着けて上着も持たずに部屋を飛び出した。
勿論、朝食のことなんかすっかり頭から抜け落ちてたし、シャツのボタンを留めてる暇なんかない。部屋の鍵もかけたかどうかも覚えていない。
ヘルメットなんか被ってる余裕なんか無かったけど、policeに捕まったらそれこそtime lossもイイトコだ。交通規則違反ギリギリで走って、通い慣れた彼の社員寮であるマンションの駐輪場も無視してバイクを停める。投げ捨てるようにヘルメットを脱いで、俺は部屋に急いだ。エレベーターなんか待ってられない。階段を2段3段飛ばしながら駆け上がった。こういうとき自分の長身をありがたく思う。背の分コンパスも長いからね。でもこの天井の低さは勘弁して欲しい。まぁJapanの家屋はたいていそうなんだけど、思うように走れないし、なによりjampしたときに怖い。
何度も通ってるからすっかり位置の把握されたドアの前に立ち、逸る気持ちのままインターフォンを押して、回らないドアノブを何度も鳴らしてから、中の反応を待ちきれずにドアを叩いた。隣近所の迷惑も忘れて、大声で呼びかけると中からダルそうな声が聴こえる。この声はGodだ。再度叩こうとしたドアがカチリと音を立てたから、少し身を引いて開くのを待った。待つまでもなく開いたドアから見知った顔が現れて、よう、と悠長に挨拶してきた。そののんびりした響きに余計に苛立ちを覚える。そんな俺に気付いていないのかそうでないのか、俺の頭から爪先まで視線を移動させて、うんざりした口調で俺を煽る。
「なんだお前その寒々しい格好は。夏にゃまだ早ぇぞ」
「そんなことよりkidは?!」
「そう焦るなよ。風邪みたいでな、そこまで大事じゃねぇけど、アイツが抜けると仕事に出る支障が大きくてな」
「風邪?十分オオゴトだよっ!どいて!」
「ハイハイ、じゃとりあえず俺仕事あるし帰るから、あと任せたぜ」
俺だけが切羽詰った会話の後、Godの最後の台詞には返事もせずに俺は部屋に駆け込んだ。
気配がする部屋は寝室。勢いよく飛び込むと予想通りの人物がbedの上で半身を起こし、こちらに視線を投げた。きっと反射で装っているんだろう、青いのか赤いのか解らない顔色に、潤んだ目尻を無理矢理引き締めてなんでもないような表情をする彼は、どう見ても無理をしていた。
その時心臓がどくん、と大きく鳴ったのか、それとも止まりそうになったのか、よく解らない。ただ頭の中では、4日前に呑みに誘ったのがいけなかったのかとか、どうしてGodじゃなくて俺に頼ってくれないんだとか、彼も自分も責めるような言葉しか浮かばなかったのを覚えてる。
* * *
彼の額に乗せたタオルを冷たいものと取り替えて、漸く一息ついた。
御飯を無理矢理食べさせた後、食器を片付けて戻ったら、bedに倒れこむように眠っていて酷く驚いた。寧ろ本当に倒れたんだろう、布団が肌蹴たまま枕に頭を乗せずに腕を投げ出した格好の彼は、顔色なんか窺わなくても衰弱しきっていることがわかるほどに弱々しかった。眉根を寄せたまま汗を額にびっしりと浮かべて、荒い息のまま時折咳き込むから、意識があるのかもと思って何度か呼びかけたけど、それには何の反応もない。抱き起こして枕に頭を乗せて体勢を整えてやり、肩まで布団をかけたけど、やっぱり抵抗も無くって、身体もずしりと重たかった。意識を失うと全身の筋肉が弛緩するから、すごく動かしにくいんだけど、腕を下敷きにしたり変に身体をひねらないように物凄く神経をすり減らした。だって、普段仕事やpianoばかりで運動をしていないだろう彼の身体が柔軟だとは思えなかったから。
さっきlivingの戸棚の中に薬箱らしきものがあったから、風邪薬があるかどうか探しに立ち上がる。彼の傍らを一時でも離れるのは気が引けたけど、ずっと傍にいて彼の具合がよくなるわけじゃないし、気だけ逸ったまま戸棚を開けた。目星をつけた箱はやはり薬箱らしく、消毒液や絆創膏から胃薬や頭痛薬が入っていた。胃薬が何種類もあるのが気になったけど、それはまた置いとくことにして『咳、たんに』と書かれた錠剤を手に取った。ちゃんと消費期限を確認して、水の入ったコップと一緒に彼の元へ持っていく。相変わらず息苦しそうな彼を起こそうかどうか迷ったけど、それも気の毒な気がして。シタゴコロが無かったなんて言わないし、つい不必要に長い時間をかけちゃったことも言い訳しないけど、口移しで薬を飲ませた。
その時は俺が熱に浮かされた気分だった。何度か彼に不意打ちのカタチでkissしたことはあるけど、意識のない彼を相手にしたのは初めてだった。しかしどれも了承を得ないでした行為だから、きっと彼は目を覚ました後のこの薬のからを見て、kissした事実に気付くだろう。それで、きっとまた怒る。しかも今回は抵抗できない時にしてしまったから、卑怯者、とか、見損なった、とか、そういう言葉で詰って蔑むだろう。そうなる前に片付けておかないといけないのに、俺は結局そのままにしておいた。
…kissした事実を、無かったことにしたくなかったから。
口付けた薄い唇はかさかさに乾燥していて、彼が水と一緒に錠剤を飲み込んだのを確認した後、2、3度舌を這わせる。どきどきして顔が熱くて、ものすごい背徳感が俺をさらに煽った。堪らなくて、俺はその白い頬を撫でるように指を這わせて薄い色合いの金の髪に絡め、貪るように口付けを繰り返した。
息苦しそうな吐息は口を塞がれているためか、喉が絡んでるためか。無意識だろう抵抗の色があるソレは俺にとってはただ催淫効果があるだけで何の意味も成してない。最も、その気があるなら思惑通りだけど、そんな俺にとって都合のいいハナシ、あるハズないし。
もう止めなきゃ。止まらなくなっちゃう。
反応し始めている下半身を無視して、理性を総動員させて唇から離れ、数回頬や額にkissしたあと、彼の肩口に額をこすりつけて深く息を吐いた。少し汗の匂いのする首筋はやっぱり白くて、人種の差とはいえ俺と同じ『肌』とは思えないほど違和感がある。俺はちょっと引っ掻いたくらいじゃ痕は付かないけど、こんなに血管が見えるほど肌が薄いんじゃ血が出ちゃうんじゃないかな、うっわイターイ痛いの嫌い、とぶるっと身を震わせて色気のない思考に無理矢理持っていこうとして自滅する。傷をimageしたのがいけなかった。目の前の首筋や肩から鎖骨辺りに爪痕や歯形、欝血の紅い痕を散らした彼を想像してしまって、折角落ち着きだした俺自身は一気に勢いを取り戻した。しかも、今度はちょっと勢い良すぎだ。
あーんもう、俺の馬鹿ぁっ!
情けないやら泣きたいやらで、どうかお願いだから今は目を覚まさないでと都合のいい事を心の中で叫んでトイレに駆け込んだ。頭の中でも口頭でも独り言のように謝り倒して処理を済ませると、なんだかどっと疲れた。念入りに手を洗っておそるおそる寝室に戻ると、寝返りすら打っていない彼の横顔が見えた。手を伸ばして起こさないように額のタオルを取り替える。
いつまでも他人の気配がするとゆっくりできないだろうから、気分転換を兼ねて買い物に出かけたんだけど、どうしても独り彼を残していくのは心配で。bikeでの移動は勿論交通違反ギリギリ。そんなthrillのおかげで余計な妄想も吹っ飛んだ。帰ってきてbikeを降りヘルメットを脱ぎ捨てる俺の左手には果物や甘いものの入ったビニール袋。今度はエレベーターが1階に来てたのでひょいと乗り込んだ。
なんだかんだいって、風邪の時にはカロリーを取らないと始まらない。kitchenに買ってきたものを置いたあと、こそりと彼の寝室を窺うと、さっきよりは血色の戻った頬が見えた。起こさないようにそろりそろりと近づいたのはいいけど、起きてるかどうか確かめたくって結局呼びかけてみた。相変わらず反応は無い。ずれてしまっている額のタオルは触れると思ったよりも生温く、急いですすいで冷たい状態にして乗せなおした。
すると、彼の眉間に皺が刻まれた。
いけない、冷たすぎたかな?と内心焦って「kid?」と呼びかけても、それ自体に反応は無い。けれど、大きく身じろぎをして喉の奥から呻きを洩らし始めた。時折声に出るソレは何か熱に魘されているというよりも悪夢を見ているときのそれで、俺は正体のわからない不安に苛まれる。
どんな夢を見ているんだろう。夢は生活のストレスとかの影響がでるっていうけど、そんなに何か辛いことでもあるの?…俺の、ことだったらどうしよう。彼は優しいから何が悪いってちゃんと言ってくれるけど、肝心なところで我慢しているに決まってる。実際、本当に俺が傷つくことは言わない。きっとそれは俺に対してだけじゃない。彼に関わる人すべてにおいていえることだと思う。
宥めたくても、大丈夫と安心させてあげたくても彼は今、夢の住人。俺は無理矢理こちらの世界に連れ戻すしか術は無い。でもそれじゃ意味は無い。今は凌げるかもしれないけど、根本的になんとかしなくちゃ何度も繰り返して彼は悪夢をみるんだろう。
ねぇ
そんな俺の手の届かないところで苦しまないで
独りで背負い込まないで俺にキミを支えさせて欲しいのに
俺がいけないならちゃんと直すよ誓っていい
キミが俺を救ってくれた以上にキミの助けになりたいから
どんな小さなことでも力になるから
だからもっと頼ってほしいのに――――― !
無意識に布団からはみ出ていた彼の手を握り締めた。じっとりと湿った感触は、ここへきた時には既に嵌められていた手袋。どんなならわしだったか覚えていないけど、常に布一枚に守られた彼の手。清潔なその白い手袋にさえ、今は嫉妬を覚える。もしかして、眠る時も付けているの?こんな布一枚よりも、俺のほうが頼りないの?
「…ここに、いるから。…俺が傍にいるから…」
俺はずっとキミの傍にいる。そしてキミを護るから。
だから。
握り締めた彼の左手にkissを落とし、彼の悪夢が終わるように祈る。
触れられなくてもいい
キミが誰かのものになっても構いはしない
だから
どうか俺を傍に置いて
end