帰り道を歩く

あの時とは違う




 こっそりと店内に入り、ステージからは見えにくいだろうカウンターに腰を落ち着けて、Master、と声をかけた。するとバーテンダーが、ハイ、少々お待ちを、という声だけ残して店の奥に引っ込んでしまった。
 なんだろう、Telでもかかってきたのかな、と、kidのピアノを聴きながらぼんやりとバーテンダーの消えたドアを眺めていると、程なくして、赤からオレンジ色のグラデーションが綺麗な液体が注がれたグラスを持ってきて、俺の前に差し出した。
「…俺まだ何もorderしてないんだけど…」
 当然のように俺と向かい合うグラスを指差して、バーテンダーを仰ぎ見る。馴染みのそのバーテンダーは、笑みを崩さないまま悠然と言った。
「今日貴方が来たら、これを差し上げるように、と」
 彼に。
 そうバーテンダーはステージ上の彼を顎で示す。集中しているのか、もはやそこだけが別世界になってしまっているステージ上で、まるで神がかったように鍵盤で旋律を紡ぎ上げている彼。もしあれが機織りだったならば、文化遺産に匹敵するほど綾の美しい絹織物が出来上がっていってるんじゃないかと思えるほどの音色。けして目に見えて残らないその芸術品は、ひとつひとつの織り目まで聴くヒトに感動を与え、心だけに残していく。

あんなところにいるひと。
手が届かないと錯覚を覚えさせるひと。

こうして、手を伸ばしてくれる意図は解らないけど
それでも嬉しくて、頬が緩むのを抑えられないよ



 炭酸のない甘いだけのそのカクテルは、舐めてみるとなんだか微妙な味がした。
 その微妙さは顔に出ていたのだろう、バーテンダーは苦笑しながら、それ、グリーンさんが作ったんですよ、と教えてくれた。時間も経ってしまっていますし、プロが作ったものとは違うでしょう、と。
 一瞬でも『美味しくないかも』と思った自分を責める心よりも、なんで飲んじゃったんだろう、勿体無い、という気持ちのほうが強くて、顔がニヤけないように眉間に力を入れながら、とりあえず携帯のカメラ機能で激写して、彼の曲を聴きながら飽きもせずにわずかに残るその暖色のグラデーションを楽しんだ。
 もうちょっと黄色かったら俺の瞳の色みたいだ、と自惚れて、彼が立ち上がってお辞儀をするまで、ずぅっと。




「お疲れサマっ☆今日も相変わらず素敵な演奏だったね!格好よかった〜vv」
 masterに特別に許可を貰った俺は、尻尾があったなら千切れんばかりに振り切って、上機嫌に彼の楽屋を訪れた。渡しておいてくれ、と頼まれた報酬を小脇に抱えて、部屋の入り口で労いの声をかけると、椅子に座ってコーヒーを飲んでいたらしい彼が視線だけこちらに寄越して、続いて瞳を閉じて返事をする。
「…それはどうもありがとうございます。しかし、それだけでそこまでテンションを上げるのもどうかと思うのですが」
「やだ、kidってば解ってるくせに!言わせないでよ〜っていうか言いたい言わせてvv」
「どっちなんですか」
 それはもうみっともないくらいに顔が緩むから、垂れ下がらないように両頬に手をあてながらもじもじする俺に、彼はうんざりとした表情を向けてくる。こっちを向いたことが嬉しくて、あのね〜、と言いながら抱きつく勢いで彼に近寄ると、察したのか少し腰を浮かせて逃げの体勢に入るのが解ったから、彼に触れられるか触れられないかの位置で立ち止まってみた。すると、彼は浅く安堵の息を吐いて再び椅子に体重を預けた。
 忘れると嫌だから、先に預かってた報酬を手渡してから。
「カクテル、ありがとう。すごく嬉しかったvv」
 作る必要が無い笑顔は、きっと他人からみれば『極上の』と評価してもらえるだろう。
 あんまり嬉しいから携帯に納めちゃったvvと告げると、馬鹿じゃないですか、さっさと消してしまいなさいそんなデータ、と冷たく一蹴されて、携帯を寄越せと手を差し出してきた。憮然としたその態度と表情は、心なしか少し赤い。
 …素直じゃないなぁ。そんなところは可愛いけどね。
 差し出された手の意図を無視して、ぽすりと俺は自分の手を乗せた。そのまま膝を床につくと、視線はキミを見上げる形になる。そして、もう片方の手を彼の手に添えて、不機嫌そうな彼の視線を真っ向から向かい合い、そして流す。
「握手を求めたわけではないのですけど」
「『お手』デショ?」
「違います」
「そうなの?」
 さらりととぼけて、さも意外そうな声を出す。それから、微笑んでみせた。

「帰ろ?」
「…コーヒーを飲み終えてからにします」




 雨はまだ降っていた。強まりも弱まりもしていない、ここに来た時と大差のない降り方で屋根の上で踊り続けている。 ぱん、と音を立てて傘を開くと、落ちる雨に傘に付いていた飛沫が混ざり、一瞬にして見分けがつかなくなった。
 そのままかざした傘の下で、俺は一歩踏み出してから振り返る。
「ねー、どこか寄ってく?」
「こんな夜更けに何処へ立ち寄るつもりですか」
「最近はいろいろあるじゃない〜。それに俺、お腹すいちゃった」
 お夕飯、kidもまだデショ?とウィンクすると、苦虫を噛み潰したような表情で、まぁそうですけど、と返された。何食べようか?
 彼は『何食べたい?』という問いは好きじゃない。主体性のない、意思のない人間が嫌いだから。だから先に何が食べたいんだけどどう?っていう訊き方をしなくちゃならないんだよね。さて、飲みに行くか、それともちゃんとしたレストランに入ろうか。
 あぁ、そうだ。
「ファーストフード屋って入ったことある?」
「はい?」
「だから、マックとかモスとか」
「普通あるでしょう」
「食べるイメージ無いからさ〜」
「伯爵と一緒にしないでください。私は現代を生きてるんです」
 そりゃ伯爵さんに失礼じゃないかなぁと思ったけど、確かあの人こないだpapに連れられて初めてマックに行ったらしいし。森奥の屋敷で浮世離れした生活してたから当然といえば当然なんだけど。でもあの人俺たちより年上なんだよな…と改めて思い直した。日本のバーガーのサイズは日本人の体格に合わせてか、母国のものとは比べ物にならない大きさだけど、一度に違う種類が楽しめる大きさなのが嬉しい。以前はpapとよく行っていたけど、なんでもバンドのメンバーとカンヅメで新曲作りに勤しんでるらしく、最近行ってなかったから急に食べたくなった。
「俺、マックがいいなvvどう?」
「嫌ですよ、日本のものは腹に溜まらないじゃないですか」
 あ、やっぱりkidもあの大きさだと物足りないんだ?ということは母国でも普通にバーガーを食べてたってことか。ふーん、意外。だって、中学の時一度分けてもらったお弁当は野菜とかhealthyなものばかりで、あぁ、やっぱり種族柄かなって思ったし。
「あぁ、でも構いませんよ。数を重ねればいいだけの話ですし。…あ、ただちょっと油分が多すぎるか…」
 思い出したように訂正の言葉を言った後、ためらうようにまたぶつぶつと考え始めた。そんなに真剣に考えてくれなくてもいいのに。たかだかファーストフードで。…嬉しく、なっちゃうじゃない。
「やっぱりkidの手料理がいい」
「はっ!?何言ってるんですか無理ですよ」
「いいよぅナンデモvv残り物大歓迎vv」
 さ、かーえろvvそう言って俺は彼の返事を待たずに傘を濡らした。足元で音を立てる水飛沫を気に掛けもせず、ここへ訪れた時とは比べ物にならないほどの軽い足取りで歩き出すと、後ろから、待ちなさい話は終わってません、ともうひとつの水音とともに彼の声が迫ってくる。彼の飾り気の無い紺色の傘が横に並ぶと、その下から彼の色素の薄い顔が険しい色を含んで覗き込んでくる。髪も肌も白いのに、瞳だけが綺麗な琥珀の色を保っているけど、常に紫色のサングラスで遮られているから知ってる人は少ないだろう。勿体無いなぁ。思いのほか柔らかいその色を晒せば、触れたら切れそうな鋭利な印象も大分和らぐと思うのに。なんで敢えてサングラスなんだろう。
「話を聞きなさいというのに」
「どうしてkidはサングラスしてるの?fashon?」
「また唐突に」
「眼鏡じゃダメなの?暗くない?」
 歩みの速度を緩めないまま、俺は彼のほうに身体を開いて顔を覗き返した。覗き込まれて彼は一瞬目を見開いたけど、すぐに頬を歪めながら紫色のレンズの奥の瞳をつりあげてみせた。あ、もしかして地雷…?
「貴方こそ、目も悪くないのにいつもサングラスじゃないですか」
「オシャレでしょ♪styleに合わせて変えてるんだヨ」
「それは認めますが、私には瞳を隠してるように思えますけど」
 Oh、と思わず呻いてしまった。見事な切り返し、凄いよkid。そう、なるべく隠してる。拙い理由だけどね。
「アッシュさんのように子供に怖がられたんですか?」
「やだ、そんな大層な理由じゃないよ」
 絶対言えないけど、実は体躯に合わない童顔さを和らげるためなだけなんだから。エゴなの。だからキミの前や仲のいい人たちの前では外してるよ?常にしてたら視界悪いもん。だから、アッシュさんみたく『怖がるから』とか、そんなんじゃない。
「kidこそ、怖がられるからなの?」
「…まぁ、単にステージ上でライトが眩しいから、というのもありますけど」
 いちいち替えるのも面倒なので定着させてるだけです、と前を向いて少し歩調を速めてしまうものだから、傘に遮られてキミの表情を窺うことが出来ないけど。きっと俺の視線から逃げようとしたんだよね。…もしかしてホントに怖がられて、それ気にしてるのかな…でも、キミの場合は目つきより雰囲気の問題だと思うんだけど…
 とりあえず、ふーん、とだけ相槌を打っておいて、俺も歩調を速めた。俺のほうが背が高いから、必然的に同じ歩調なら俺のほうが進むのが早い。あっという間に追いついて、今度はスピードを合わせる。斜め後ろをぴったりとついてくる俺が気になったのか、軽く振り向く仕草をした。勿論、傘に隠れて彼の顔まで見えなかったけど。
「本当に家に来るんですか」
「そーのつーもりーvv」
「散らかってますけど」
「さっきまで俺、居たじゃない。あれだけ片付いてれば問題ないヨ」
「残り物ですよ」
「大歓迎だよ!kidがいつも食べてるものを食べられるなんて嬉しいなぁっvv」
「毎日同じもの食べてるような言い方しないで下さい」
 会話を途切れさせようとするような物言いは相変わらず切れ味が鋭い。謙虚と厭味の際どい境目を行ったり来たりしている言葉達をその耳障りのいい低音に乗せるのはちょっと勿体無い。…まぁ、歯の浮くような台詞並べられたら、俺きっと足腰立たなくなっちゃうし、それこそライバル増えて困っちゃうけどね。まぁ、そんなことありえないけど(ライバル増えるのはありえるけど)。
 性根が正義感が強くて優しい彼のこと、もっとcommunication取れるとおもうんだけど、なんで取ろうとしないんだろう。わざわざ気に掛けてくれた人を追い払うみたいな。以前見たSHOLLKEEさんに対する態度なんか酷いものだった。『嫌い』って言ってても、仕事となればそんなに突っぱねないし、実力も認めて評価してるみたいだし。何より彼の瞳を見据えて話をしてる(サングラスで目は見えないけど)。でも俺より酷い言い方するんだから、あれじゃSHOLLKEEさんも可哀想だ。…それでも、普通に接してくれるSHOLLKEEさんもかなり人が良いっていうか、kidを解ってくれてるっていうか、…鈍感、なのかも。まぁいいんだ、そんなこと。
 とにかく、俺は彼の誰も寄せ付けないその心が心配だってコト。
 
「好きだよ」
「はぁ」
 唐突で、でもいつも彼に伝えている言葉。傘が邪魔で肩を抱くことも抱きしめることもできないけど、鞄を持つ手をきゅっと握って、見えてないだろうけど俺は微笑んだ。気付いてほしい。俺だけじゃない、きっとキミの周りの人たちはみんなそう思ってる。でも俺はみんなとは違う。もっと特別な感情を彼に抱き続けているんだから。
 気付いて。
「聞き飽きました」
「じゃぁ受け入れてくれるの?」
「まさか。私はノーマルです」
「そんなこと言わずにさぁ。俺だってゲイじゃないもん、kidだけ」
「女性が大丈夫なのでしたら女性相手に口説いてください」
「オンナノコは可愛いけど、愛したいのはキミだけなんだってば」
「あっ…!?」
「うん」
 勢いよく彼が振り返る。彼の眉根はすっかり仲良く寄り添いあって皺をうみ、、下の切れ長の両目は見開かれたまま俺を睨みつけてくる。
 芸が無い、聞き飽きたのなら、別の言葉で攻めるのみ。恥ずかしいけど、耳まで赤くなってないか心配だけど、でも本心だから。
「愛してるよ」
 今日キミに言いたかったこと。

キミが微笑むのは夢。
でも夢は夢でもそれは俺にとっての願望だから、必ず叶えてみせる。
日本語では人の夢と書いて『儚い』っていうらしいけど、俺もキミもAmericanだから、関係ないよね。

俺が今日みたいに過去に怯えることがあっても、キミは助けてくれた。
キミが何かにぶつかって戸惑うことがあったなら、必ず力になるから。
だからいつか微笑みかけてほしい。
微笑って、そして俺の名前を呼んで。


帰り道

あの日も雨だった。
卒業式の後、キミを乗せた飛行機を見上げて。
空港でひどく泣いた。キミを困らせた。
「置いていかないで」と縋った。
涙と雨に濡れた帰り道。傘なんか差す余裕も無くて。

でも
あの時とは違う
傘を差して
微笑んで
キミが隣にいる
なにより帰るのは キミの家




「愛してるよ」
「…私は愛してません。少し黙ってください」







2005/4/著




お題18『帰り道』クリアー!!
長かったです。とりあえずお話はひと段落。おしまい。
ていうか微妙に全部繋がってますけど…ね。繋がらなくてもいい話はありますけど。
今回いろんなキャラの名前を出してみました。唐突すぎた感がありますけどそのへんはどうか見逃してやってください。