もう夏も終わる頃、少し涼しくなった休日の午後に、なにげ無く足を向けたオープンカフェ。
洒落た白いパラソルの趣深い白椅子が目に止まり、それから何度か通っているそこで、いつものように紅茶を嗜みながら本を片手に休暇を楽しんでいた。

ふと、かたり、とテーブルのカップが何の前触れも無しに音をたてる。
気配を察して横目でそちらを見やると、目に入ったのは派手な柄のシャツ。黒地のはずが、艶やかな大小の花紋様などに阻まれて存在感が消えかけている。日本の夏を思わせるその朱を基調にした和柄はよいのだが、いかんせん着ている者が悪い。目立つにも程がある。
目線をあげる事はせずに、視線を本へ戻した。丁度そのページ分を読み終えていたので、次のページを開く。
「Hai,ki〜dvvそれ何の本?」
「…」
無視に憶さない口調に多少辟易しながらも、文章から意識を外さずに、本の題を口にする。それに気を良くしたのか、へぇ、どんな内容?面白そうだね、と言いながらテーブル向かいの椅子に腰掛けた。

ことり、と次いで置かれたトレイには、新鮮味の利いたサンドウィッチと淹れたばかりのコーヒーが行儀良く並んでいる。その香しい匂いに意識は活字を離れ、ぼんやりと当てもなく白いカップを見つめた。
受け皿には砂糖が3本、ミルクが1つ。そんなに味を変えるのならコーヒーなんか飲まなければ良いのに、と内心溜め息をつくと、それに気がついたのか陽気な声音が少しトーンをあげて、その変に派手な塊は肩をすくめる。
「やだな〜、カフェ・オ・レっていう飲み物だってあるじゃない?
それに俺はblackだって飲めるけど、今日はなんとなく入れたいだけだよ〜」
それとも匂いが駄目とか?甘いの駄目?
そう小首を傾げて付け足す表情は、いつもの微笑み。一体何が楽しいのか、常に嬉しそうにそれを張り付かせて、こちらを覗き込んでくる。
困ったような口調でそんな嬉々とした表情をされても、何も説得力がない。
「…そういうわけではございませんよ。ただ目に入っただけです」
「飲んでも良いよvv」
「要りません」
「じゃコレ一口どう?」
「結構です」
差し出されたサンドウィッチを避けるように身を引いて、再び紙面に視線を落とした。

活字の続きを探して紙面を泳いだ視線が、いきなり現れた手に阻まれて影を落とす。
「…何の真似で?」
苛立たしい感情を隠さないまま声のトーンを落として問い掛けると、いやに高い不満気な呻きに続いて、諭すような台詞が降ってきた。
「こんな日差しが強いところで本なんか読んでたら、目が焼けちゃうよ?ね?」
せめて直射日光の当たらない陰で読もうよ、などとまるで幼子に言い聞かせるような物言いに、屈辱感が沸き上がる。
確かに白い紙面が反射して見え辛かったのは事実なので、パラソルの陰に本が隠れる様に椅子をずらした。それによって少し近くなった距離をさらに縮めるように彼は椅子をずらして、こちらを向いた。




最初の一口を齧り付いたサンドウィッチは皿の上。彼はそれきり目もくれずに、カップを片手に視線はただ一点を外さない。
…そう、こちらをずっと見ている。
初めは無視を決め込んでいたが、次第に気になって文章が頭に入ってこなくなり、しかたなく本を閉じて顔を上げた。
すると、目の前の派手で黒い男は見る間に瞳を輝かせて微笑みを浮かべる。
「気になる?ごめんネ、でも気にしなくって良いんだよ?」
「気にならないならまだ無視を決め込んでおりますよ。何なんですか」
「キミを見てたいだけだから」
「…物好きな」
「よく言われるヨ。Japanに来てからね」
苛立ちを隠さない皮肉にも表情は変わらない。楽しそうに私に言葉を返しては、時折笑いを漏らす。
零れるような微笑みは大輪の花のようでもあり、霞むような小さな花群のようでもある。


小さな花群が正解かもしれない。


彼が「幸せ」と感じる事象の大きさと
彼が「幸せ」と感じる数の多さのようで

それは見ている側の気も殺ぐ柔らかい花
優しく包み込む淡い色合いの霧霞の華。





「…初めに『花のよう』だなんて例えたのは、いったい誰なんでしょうね」
「What?何のこと?」
「いえ、何でもありません」
思わず口に出してしまった殆ど呆れに近い疑問に、自分でも戸惑いを隠せなかったが、彼はふーん、と気の無いような生返事をしてカップを置いた。トレイの上のサンドウィッチにようやく手を伸ばし、どこか上の空で小さく齧りつく。
そうして、独り言のようにつぶやいた。
「綺麗だから、じゃないかなぁ…」
「は?」
「いやね、kidが何のこと言ってるのかは解らないけど、『花のよう』って例えるのはさ?綺麗だからじゃない?
 花って万国共通で綺麗なものだし、しかもただ綺麗なだけじゃなくって、優しい気分になったり元気付けられたりするでしょ?
 …そういう感じが、『花のよう』って例えだした所以じゃないかなぁ」
日本語でも、『華やか』って言葉もあるくらいだし、魅力的って意味?
そう付け足して、少し困ったように微笑む。

…ちょっと待て。
ということはなんだ先ほどの私の感傷は。

彼の微笑む様を『花のよう』だと感じた所以はそれか?
仮にそれだということは…


―ちょっと待ってくれ。
否定したい。
寧ろ認めない。
好意か?いや元々嫌ってなぞいないが。
多少苦手意識はあったはずだ。
執拗に干渉してくる彼を毎度疎ましく思っていただろう?


…知らず、絆されていた…?


「花かぁ…kidはアレに似てるよね、…えっと…」
目の前の、先ほど霧霞の華のようだと感じた男は、サンドウィッチを手にしたまま視線を泳がせ考え込んだかと思えば、急に視線を戻して得意げに言い出した。
「calla」
「カラー?」
「Yes,that’s light !!」
カラー…というのは確か花束や祭事によく使われる、ユリのような白い花だ。私も祝いの席や教会への祈りの際によく持って行ったものだ。
「あれ、白いところは花じゃなくって、葉っぱなんだよね。
 すんごい清廉潔白なイメージあるけど、実はサトイモ科だし。」
「…なにが言いたいんですか」
自分がカラーに対して間違った見解を持っていたことに恥を感じながら、卑下した物言いをする彼を軽く睨み、抗議の声を上げた。
…花、に例えようとしたくせに『花』でないものを挙げたうえに、その物言いは何なのだ。
仮にも私に好意を寄せているふうなくせに。
もう多少の視線や口調の脅しには慣れたのか、彼は眉も上げずに素知らぬふりで、コーヒーカップに口をつける。
「だからさ?花じゃないから、散ったりしないの。
 サトイモってくらいだから、その根には人が食すくらいの養分蓄えててさ?
 凛とした姿勢と、濃い緑の葉の中で純白の葉を一枚だけ纏ってるところが見ているヒトの目と心を奪う。
 …花言葉は、『清浄、歓喜、熱血』」

そうして、カップを置いて、こちらに視線を向けた。
…少しだけ真摯な瞳が、合った。



「それから…『夢のように美しい』」



そうして、微笑んだ。
柔らかく、穏やかに。
…明らかな、好意以上の感情をのせて、言の葉を紡ぐ。


「…男の私に向ける言葉じゃありませんね」
「でも似合ってるデショ?」
「そうやって女性を口説くんですか?」
「違うよ〜、俺そんな軽いオトコじゃないよ〜!!」
「いちいち説明する言葉が気障です」
「kidだって似たようなものじゃない〜」
「そんなことはありません」
「あるよ?ヒトから言わせたらイヤミなくらいだ、って」
「それは失礼しました」
「あっ、俺はそんなこと思ってないヨ!?厭味でキザな台詞もkidが言うと妙にハマるっていうか…」
「フォローは要りませんよ」
「違うよー!!だってkidカッコイイもん!!!!」
「それこそ厭味です」
「ヒドーイ!!本音なのにぃー!!」
「尚更厭味ですね」
「あぁ、でも」


矢継ぎ早に言葉の交換をした。
とにかく意識のすり替えをしたかった。
…その『気障な台詞』に、一瞬絆されそうになった自分を何とか誤魔化したかった。…こんなところでも、御伊達に弱い自分が仇になるなんて。
そして、一旦台詞を途切れさせた彼にもう一度改めて意識を向けた。
そうして見た彼は、会話の最中ころころと表情豊かにしていたのに、また、さっきの穏やかな微笑みに戻っていた。
「『夢のよう』だっていうのは、絶対否定も誤魔化しもしないよ?
 俺…kidのこと、大好きだし?」

だって俺、こうして一緒にいられるだけで夢みたいだもんねっvv

―来た。
ついに来た。決まり文句のようにその唇が紡ぐ睦言。当然のように付け足される柔らかな微笑み。
子供のような言い草に聖職者顔負けの謙虚さを乗せた、そこいらの俳優よりも気障な台詞だ。
思わず眉を一層顰めると、彼は肩を大袈裟に竦めて微笑を浮かべたまま、もう一度食べかけのサンドウィッチを手に取る。
もう一口しかないそれを―翳して、悪態を再度たたみ掛けようとした私の口に押し込んだ。
反射で口内にしまいこみ、咀嚼していると、彼は立てた人差し指を口元に持っていって、お昼まだでしょ?とウィンクする。




「…貴方のそういうところ、私は嫌いです」

「そう?俺はそう言うkidのこと好きだけど?」












2004/9 著


まとまらないうえに恥ずかしい。
というわけで(どんなわけだ)


お題13『1番嫌いで1番好き』でした。