別にたいしたことはないのだけど。



どうせあなたにしか聴こえないのだから。









今日から連休だった。
私の仕事は確かに週休2日だが、曜日は不定形だ。日曜祝日正月盆、関係ない。
平日、なんでもない日、休暇を戴いても特に何もするわけではないので、正直週1の休みでも構わないくらいなのに。

なぜか今週に限って、3日分ある。
しかもそのうちの2日間は連続で。

先月までに休日出勤した覚えも無ければ、これからの予定にも無いはずだ。代休とは思えない。
その旨をスケジュールが決まった時に抗議しに言ったのだが、先輩からは「いいから休めよ」の一言。
正直、取り付くしまがなかったので、結局事実を受け入れざるを得なかった。


昨日の夜、仕事を終えて帰路に着いた際、会社の玄関口付近にあるちょっとした待合室に、彼は居た。

FOXY。

彼が言うにはしっかりと先輩に許可を取って敷地内に入ってきていたらしい。
声高に声をかけてきて、何か用かと思えば

「明日、お休みなんデショ?朝10時に迎えに行くから、おでかけしよーよ!」

…と、これだ。

なんで私が、という抗議の声に、急に彼は声のトーンを落として、自信の無い声で
もしかして先約アリ?
とかなんとか言うものだから、つい、そんなことはないと応えてしまった。

…我ながら、迂闊だったと思う。


そして今日。
疲れていたのか
それとも身体が今日の予定を拒否したのか

目が覚めたのは、インターフォンの音。
遠くで1回。
少し間があってもう一度鳴った気がする。。

今度は連続で3回。
頭に直接響くほど近くで聞こえた気がして、思わず眉を引き寄せた。
他人事のように寝返りをうったあと、続けて聞こえた何かを叩く鈍い音と
微妙なトーンの声。

「Hey,kid ?! kid、いないのー?」

文字通り、跳ね起きた。
反射的に時計を見やると…ぼやけてよく見えないが、10時…多分3分。

眼鏡もかけず、寝室のドアを開け、寝起きの身体でふらつきながら、再び聞こえた「kid−?」の声に応える。
「…すみません、今開けます!」
たどり着いた玄関、裸足のまま土間に下り、鍵を開けて力任せにドアを押し開けた。

少し考えれば解ったはずなのに。

そんなことをしたら、ドアの前に立っている彼がどうなるかなんて。

景気のいい音と、小さい悲鳴。ドア向こうにうずくまる巨体。
「も…申し訳ありません…;;」
かすれた自分の声が客観的に聞こえて、なんともいえない気分になった。
寝起きの喉にかすかに痛みがはしる。
「Oh,sorry.…俺も近くに立ちすぎたから…うん、大丈夫だよ」
そう言って額を押さえて立ち上がった彼の目が、大きく見開かれた。
その意味を瞬時に悟る。

恥だ。こんな寝起きの格好で人前に…
しかしそれより、一方的だったとはいえ約束を破った事に詫びを入れるのが先だ。
「す、すみませんたった今目を覚ました身で…急いで支度を整えますから…」
「あ、なんだそんなこと」
少し慌てた口調でそこまで言ってから私から一度視線を反らし、頬を少し掻いた後、視線を戻して微笑んだ。
「俺も2分遅刻したから、おあいこだねvv」

なにが一緒なものか。
この場合たかが2分と今から支度では、度合いが違う!

「そんな格好じゃ風邪引いちゃうよ、ホラ、早く中に入って」
彼はぐい、と私の肩を押し、部屋のなかに押し入れてドアを閉じた。同時に言いかけていた文句も心の中に押し込まれる。
外から声がした。
「ゆっくり支度しなよー。俺、ちゃんと待ってるからさ?」

待ってるって
そこで?

今度は故意に。
力任せに押し開けたドアは彼の肩に直撃したようだった。
「んもう、なにすんのー!?」
「迷惑なんですよ、他人の部屋の前で」
今度はちゃんと、自分の声として声が出せた。
「そんなことされて風邪でもひかれたらたまりません。お茶くらいしか出せませんが、どうぞ中にお入りになってください」

狼狽する彼の腕を掴んで中に引き入れ、ドアを閉めた。
流石に石造りの土間は裸足では冷える。赤くなった足の裏の砂を払って、廊下を踏みしめた。
「靴はそこで脱いで。ここはアメリカではありませんから」
奥のリビングまでどうぞ、と言い残して私は一足早くリビングに向かう。
うしろでは彼がとまどいながらも靴を脱いでいる。アメリカ人にはなかなか慣れない習慣だが、ここは日本。私も習慣付けるのに苦労したものだった。

湯を沸かし、茶の葉を選び、彼がリビングの入り口で立ち尽くしているのに気づいて、仕方なくソファに座るように声をかけた。
あまり声を出したくないのが本音だ。商売道具の喉が傷む。
茶を淹れて、ソファに座った彼の目の前に茶菓子とともに整えてから、ごくつろぎのほどを、と言い残して支度にとりかかった。

寝巻きを脱ぎ捨て、引き出しのなかのシャツを手に取り、袖を通す。
色彩やデザインのレパートリーが少ないのが功を奏して、適当に手にしたセーターとスラックスでも普通に、普段通りの着こなしだ。
うがいをして顔を洗って、髪を軽く整え、眼鏡、そして…
漸く、自分がさっきまで手袋をしていなかったことに気が付いた。
ただでさえ脳に足りていない血が、音を立てて引いていくのが解った。

思い出せ、今朝起きてから彼に直接触れたか?
思い出せ
ええと、まずドアを開けて…そして…

ふと。
甘い匂いに思考を中断された。

…甘い匂い?
なぜ?

手袋をはめながら洗面所を後にして。
ノックもなしに、リビングのドアを開ける。
そこには、リビングに付いているシステムキッチンで
火をかけている鍋に向き合う姿が似つかわしくない男が一人。

「アレ?もうイイの?早かったね〜。勝手にkitchen借りてるヨ〜」
能天気な台詞を吐きながら、彼はさらに能天気な顔で笑ってみせる。
「…なにしてるんですか」
「あ、大分良くなったみたいだね?」
私の問いに、答えになっていない答えを返してきた。
再度、何をしているんですかと訊いているんです、と問いながら、彼のほうに歩み寄る。
彼は少し慌てた様子で、もうできるよ、座ってて!と私を制してソファを示す。
しかたなく、本来なら彼が座って茶を飲んでいるはずだった場所に座る。
なにせ一人暮らしの身、ソファは一つしかない。ここに自分が座ってしまっては彼の座る場所が無いのだが、座らない訳にはいかない。
…まぁ、少し大きめの二人掛けだから、座れなくもないのだが。
目の前のカップに注いだ茶は既に飲み干されていて、ただ茶菓子には手が付いた形跡は無い。
カチン、とコンロの火を止める音がした。
鍋の中のものをカップに移し、彼は嬉々としてソレを持ってきた。
「できたよ!ハイッvv」
そうして持ってこられたカップの中身は

少し白くくすんだ、透明の液体。

「…これは…」
「うん、アメユだよ!」
アメユ?
「…飴湯…?」
「うん、そう」
相変わらずだが彼には意味の判らない行動が多い。
今回の奇行も…自分にはさっぱり理解できなかった。
飴湯、というのは確か風邪をひいたときなどに効くといわれる、いわば日本の生活の知恵みたいなものだと聞いている。
しかし、風邪を引いていないのにこんなものを、いったいなんのために…
呆然とカップを見つめる私に、彼は至極当然のように言う。

「さっき、喉痛かったデショ?」

反射で、顔を上げてしまった。視線がぶつかりあうと、彼は微笑んだ。
その風貌からは考えられない、幼さを残した笑顔で。

「アメユはね、喉にイイんだって。こないだ本に書いてあったんだよ」

喉が不調だなんて私いつ言ったんですか。
余計なお世話ですよ勝手に他人のキッチン借りておいてこんなことを。
だいたいこんなことしてたら、当初の目的はどうなるんですか。出かけるんじゃなかったんですか。

「………くだらない…」
言いたいことは沢山あったが、口をついてでたのはこの一言だけだった。
酷い、という彼の抗議の声は無視をして、飴湯を口に運ぶ。甘ったるい匂いと、微妙な粘着感が鼻の奥でくすぶるが、不思議と不快感はなかった。

…別にたいしたことはないのだけど。

正直、そんなことまで気づくなんて思わなかったから。
短い時間にこんなことまでしてくれるなんて思わなかったから。

今の私の声なんて、どうせ貴方にしか聴こえないのだから。
言ってもいいかもしれないと思ってしまったから。




自分でも聞き取れるかどうかの声で
感謝の念を紡ぐ。





顔を上げると
照れたように満面の笑みを浮かべて
声を聞き取ったのか
飲んだことに満足したのか
そんなこと訊かなければ解らないが

「ありがとう」と惜しげもなく言う彼を
少し、羨ましく思ったこと

それが今回が初めてではないことに、自分の成長の愚鈍さを思い知って




今日もまた一日が始まる。















2004年  3月  著






はい、おしまいです。
中途半端でスイマセン、勿論続き物です(続くのかよ)

さて、グリーン氏は最後なんて言ったんでしょうか。
みなさんの好きなようにご想像ください(オーソドックスに「ありがとうございます」とか?)
でもウチのグリーン氏ですから。
もっと解りにくい言葉ですよ。うんきっと。
「ありがとう」って普通に言えるフォクシーさんを羨ましがってるし。

余談ですが
僕、飴湯って実際どんなものか知りません(コラ)
ごめんなさい、いろいろ間違ってたら教えてください。お願いします。


お題「君にしかきこえない」(文中では「君」→「貴方」になってますが)

(曲解でしたが)頑張りました。次もがんばりまっす!