| 公演名 |
「海を渡る娘」 |
|
作:小島真木 演出:山口久雄 |
| 期日 |
2011年11月12日(土) 開演18時30分 |
|
13日(日) 開演13時30分 |
|
(開場は30分前) |
| 場所 |
富士文化会館 ロゼシアター 小ホール |
| 料金 |
(前売り)一般 1000円 高校生以下 700円 (当日) 一般 1200円 高校生以下 800円 |
| チケット取り扱い |
ロゼシアター 0545−60−2510 |
| <全席自由> |
(ロゼシアターでは電話予約は出来ません。) |
|
※電話等での予約は、次へお願いします。 |
|
原田 090−1832−2282 |
| <作者について> |
|
| |
|
|
小島真木さんは、静岡市在住の劇作家です。日本の女性がそれぞれの時代を懸命に生きる姿を静岡弁で描き続けてきました。 |
|
(主な作品) |
|
「陸橋」(1963年) |
|
「片隅から」(1970年 |
|
「綿ぼこの中の小さな草たち」(1973年) |
|
「海を渡る娘」(1992年) |
|
「瞽女(ごぜ)峠」(1995年) |
|
「巴川界隈」(1998年) |
| <作品について> |
「海を渡る娘」は、オムニバス形式で書かれており、「海を渡る娘」・「嫁田」・
「大力女房」の三篇とそれをつなぐ「山越え」が最初と最後と三篇の間に入っています。
今回の上演は、そのうちの「海を渡る娘」と「嫁田」を上演します。
この三篇の作品は、静岡県内に伝わる民話・伝説に取材し、
そこに自らの思いを込めて小島真木さんが作品化したものです。
その思いについての小島真木さんの文章です。
|
|
|
| 女の民話 小島真木 |
女を主人公にした民話は、おおらかな笑い話にも哀切な話にも
細かい筋の末端にまでそっと女の思いが込められているようで
いつまでも心に残り、折りにふれて思い出すことが多い。
民話の語り手は主に女たちで、炉端や子供達を寝かし付ける床の中で、
自分の生活実感を重ね合わせて語られたからだろうか。
幾重にも重ねて語り継がれてきた女の思いを、
この手に受け取ったような気持ちになる。
なかでもこの芝居に組んだ三つの民話は、まるで道連れのように、
私の記憶の中に座り込んでいた。
この民話の主人公達は、前も後ろも崖っぷちという状況の中で
ほんの少しだけれど、自分の求めるものに向かって前へ飛ぶ。
耐えるだけに見える「嫁田」の嫁も「弥吉さの嫁になるだ」と
広い田園に立ち向かっていく。
今は深い闇の中に消えていった無数のこうした女たちの思いが
幾世代も重なって、少しづつ女の辛い状況を切り開いてきた。
現代は豊かな時代になって、女も自由に多様な生き方を選択できる
「女の時代」になったと言い立てられている。
しかし女が自分らしい生き方を求めて、しなやかに生きていく為には、
まだまだ新しい現代の崖っぷちを、前に飛ばねばならないだろう。
女のそうした営みが練り合わさって、本当の人間の豊かさを創り出して
いくことを願っている。
(劇団静芸「海を渡る娘」公演パンフレットから転載。静芸ホームページ参照。)
作者の思いは、そのまま私たちの思いです。
さらに、この作品のすばらしさは、静岡弁で書かれていることによって、
地域語だからこそ表現できる豊饒な世界が高いレベルで
実現していることです。
その豊かな世界にどこまで迫れるかチャレンジです。
|
<演出から・
山口久雄> |
「海を渡る娘」
初島から伊豆山神社のある熱海まで約12km。
女は暗い海の中、たらい舟を漕ぎ、好いた男に会いに行く。
唯一、伊豆山神社の燈明だけが目印だ。
男は女の執念が怖くなり燈明を吹き消してしまう。
初島に伝わる伝説では、横恋慕した別の男が灯を消すという結末。
この変更、創作部分が作者・小島真木の凄みといえる。
女は男が分らない。
男もまた女が分らない。
焦点はしかし女に合わされている。
「嫁田」
足入れ婚で祝言前の娘が、田植えの膨大なノルマをこなす話、
お日延べを願う話、そして出稼ぎの五月女達の話。
実在、伝説を交えて進行して行く。
五月女達の田植え歌は、我々チャレンジャーのメンバーが生まれる前に
消え去ったようである。
資料が少なく、舞台で再現するにあたっては苦労した。
田植えの時にしか白米を食べられなかった早乙女達。
苗を植える後ろ姿から、彼女達の悲哀を汲み取っていただきたい。
チャレンジャーの前回公演では、団員のリズム感が悪いことが露呈した。
今回はそれを克服すべく、あえて歌・踊り・楽器にチャレンジした。
|