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◆コーランについて◆

イスラーム教の聖典、コーラン。より正確には「クルアーン」といいますが、
この「コーラン」を映画中で読みあげるシーンがあります(チャプター12)。
取り上げられているのは、コーランの93章。
どうしてこのシーンでコーランを、そして何故この部分を取り上げたのか?
と少し気になりましたので、ちょっと調べてみました。

■コーラン基礎知識■

コーランとは、唯一神アッラーが預言者ムハンマドに授けた言葉を記録して本としたもので、
コーラン(クルアーン)とはアラビア語で「誦(よ)まれるべきもの」という意味を持っています。
その預言はアラビア語で授けられたのですが、それら預言は神の言葉そのもの。
神の言葉を置き換えるなどということはもちろん考えられないので、「コーラン」をアラビア語以外の
言葉に置き換える(翻訳する)ということは長らく禁じられていました。
今ではできるようになりましたが、それでも
「アラビア語以外の言語で書かれたものはコーランとはいえない」
という考えは変わっておらず、他の言語で書かれた「コーラン」は「コーラン」そのものではなく
「コーランの意訳」といった位置づけになります。
キリスト教の聖典「BIBLE」がどの言語に訳されても「聖書」と呼ばれるのとは対照的ですね。
コーランは全114章。ひとつの章が長いものから始まり、最後にはとても短くなって終わります。
時期的には、一番最初の啓示が最後の章で終わりごろの啓示が最初の章にきているので、
順番は逆となっています。例外もありますが、詳しくは専門書をご覧ください。

■映画で取り上げられている部分■

さて、映画で取り上げられているのはコーランの93章にあたる部分です。
コーランも版によっていろんな解釈があり、少しずつ違っているようなのですが、
アラビア語のものはよほどのことがない限り入手できないので(入手しても訳せませんが)、
英語と日本語のものを用意しました。
映画も含め、同じ箇所をどんなふうに訳しているのか、引用して見てみましょう。
映画(英語字幕) 映画
(日本語字幕)
『THE KORAN』
BY N.J.DAWOOD
(PENGUIN BOOKS)
『コーラン』
井筒俊彦/訳
(岩波文庫)
『世界の名著15・
     コーラン』
(中央公論社)
「The Brightness」 「光明の章」 「DAYLIGHT」 「朝」 「朝の章」
(Selim)
By the moonday brightness...
...and by the night when it
darkeneth...
thy Lord hath
He been displeased


(Faisal)
And surely the future
shall be better
for
thee than the past


(Lawrence)
And in the end shall you
Lord be
bounteous to thee...
...and thou be satisfied
(セリム)
白昼の光明にも
夜間の暗黒にも
神は汝を見捨てず
心より迎えたもう


(ファイサル)
汝の行く手は
過ぎし日より恵まれ

(ロレンス)
最後には
神の慈しみを受け
汝は満ち足るるべし
By THE light of day,
and the dark of night,
your Lord has not forsaken
you,nor does He abhor you.


The life to come holds
a richer prize for you than
this present life.


You shall be gratified with
what your Lord will give you.
明けはなつ朝にかけて、
静かに眠る夜にかけて。
主は汝をお見棄て給うたの
ではない、
憎んでおられる
のでもない。



汝には終り(来世)の方が始め
(現世)よりどれほどいいかは
知れはせぬ。


それに、主はきっといまに
(たくさん恵みを)授けて、
汝を喜ばせて下さろう。
朝にかけて。
静まりゆく夜にかけて。
汝の主は、汝を見捨てた
もうたわけではない。
憎まれたのでもない。


汝にとって、来世は
現世よりもはるかに
よいものだ。


主は、きっと汝の
喜ぶものをお授けに
なる。
こうして見てみると、映画でファイサルが言っているあたりの解釈が微妙に違いますね。
映画や英語版コーランでは
「過ぎ去った過去よりもこれからくる未来の方が恵まれているだろう」というような意味なのに対し、
日本語版コーランでは「現世より来世のほうが恵まれているだろう」とあります。
映画では、前者の方が適当だと思います。
きっと、トルコ軍に対し劣勢な現在よりも、未来の方が恵まれているのではないか…
自分たちがトルコ軍よりも優勢になっているのだろうと、そういった希望を持って
この章を選んで読んでいるのではないか、と思わせられるような意味合いになりますから。
(もっと深読みするのなら、このシーンのすぐ後にある「テント内のロレンスとファイサルとの会話」
のシーンでファイサルの言う「アラブが栄華の頂点にあった、
9世紀前のゴルドバの時代」が「過ぎし日」で
これから来るであろう未来が「行く手」だとも考えられますね。
つまり、これからの未来は過去のゴルドバの時代よりも繁栄を極めるだろう、と)

この章は「ひどい不幸に見舞われて悲観している預言者にかけた言葉」だそうなので、
ファイサル達の境遇にピッタリ合う章だといえます。

王子の使用人セリム、ファイサル王子、ロレンスそれぞれコーランの聖句を誦んでいますが、
各人物がなぜその部分を引用したのか…なぜその部分を誦んだのか?
それぞれに意味があるのではないかと思うのは深読みしすぎでしょうか。
セリムは「現状への提言」、ファイサルは「未来への希望」(上記参照)、そしてロレンスは…?
…映画の日本語字幕の「神の慈しみを受け」の「神」を「ロレンス」に置き換えて
考えられるのではないでしょうか。ロレンスは、アラブに慈しみを授ける、と。
なので、ロレンスは

「未来の予想」。

余談ですが、この93章は映画で引用されている部分以外にもまだあります。
映画では引用しても意味がなさそうな内容なので切り捨てられたのではないかと思いますが、
興味のある方は読んでみては。
(ちなみに、孤児に関する言葉です)