| 江川太郎左衛門砲台跡『富戸崎台場跡』 寛永6年(1853)黒船の来航により、鎖国の夢を破られた徳川幕府は日本の防衛を図るため幕府・韮山代官江川太郎左衛門英龍に江戸を囲む、伊豆、相模、下総、上総、安房の5カ国の海辺防備と巡視を命じた。この防備にあたり、沼津藩の水野忠敬氏は海防上の要所である伊東の富戸、川奈に夕顔型、円柱型の大砲をそれぞれ4門を備えた。 その後大砲は下田に移し、今はその跡をとどめるのみである。なお煙硝には伊豆の硫黄樟脳が用いられた。 |
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| 伊東市富戸・城ヶ崎ピクニカルコースに江川太郎左衛門砲台跡がある。 | 門脇灯台、門脇つり橋より600m北に歩くと松林の中に外海からは見えないように松の木の陰に砲台が設置してある。 | この大砲は韮山の反射炉にあるものと同じである。射程距離数百メートルと言われている | |
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伊豆の砲台場はこの外に、伊東市『川奈崎台場』、東伊豆町『稲取崎台場』下田市白浜『三穂ヶ崎台場』、下田市須崎『州佐里崎台場』下田市5丁目『狼煙崎台場』があった。 | ||
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