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【ご注意】

このページは真剣な問題を含んでいます。

わいせつな表現,画像はありません。

                 でも、いやだから⇒ここから去る

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けれども重度身体障害者の実態のほんの一部分を知りたいという人は,参考にして下さい。

以下のHPは参考になるかもしれません。

http://www.netlaputa.ne.jp/~k-nojo/CHIKA/sex-ring.html
http://www2.ezbbs.net/03/carecopain/

でも,非常に重要なこととはいえ,性だけが人生のすべてではないことも書き添えておきます。

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セックスボランティアを考える

一組の男女が出会い,その生涯を添い遂げるということは世間ではふつうに行われていることです。そしてそれは自然なことです。

しかし,重度身体障害者の場合,そのことは非常に難しいといわざるを得ません。いつも誰かの世話を受けなれはならない,それゆえに,囲いの中におかれている現状があります。

それで,異性を見出せない,見つけ出せないという現実にぶつかります。

そうしたことは,一般社会でも見られることですが,重度身体障害者の場合,それはよりきびしいものがあります。

たとえば,在宅障害者の外出の困難さがあります。また性について,口にすることさえタブー視されているのが現状です。

重度身体障害者の性・結婚ということは,論外とされているのが現実です。

しかしながら,障害者も「人のいい」,「清い」もので終わってしまっていいのだろうかと思います。

中には,世間の人は,「見つける努力をしていないだけではないか」,「いろいろ公的保護を受けて,その上,セックスとか,結婚とか,図々しい」と考えるかもしれません。確かにそうです。

しかし,ちょっと考えてみてほしいのですが,それは「ニワトリに空を飛んでみろ」というのに等しいのです。ニワトリが空を飛んだら,いえ,たとえば,崖から飛ばしたら,無様でしょう。

そうはいっても,重度身体障害者にも,幸か不幸か,子孫繁栄を可能にする能力があるのです。性欲,それは,「生きなさい」と命じられているものすべてに備わっているものなのです。

まあ,結婚を目標にするとはいえ,きょうの性欲をどうするかと,ここ半年ほどインターネットでなにかいいものはないかと探していました。

そうすると「セックスボランティア」略して「sv」という言葉が見つかりました。

近所にいるわけがありません。けれども,東京とか,大阪とか,九州とか,全国に点々と,「セックスボランティアします」という方がいることがわかりました。男の方も女の方もおられました。

いろいろと考えさせられました。

そんな時,わたしが考えたことを文書にしておこうと思います。

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50才にもなったのに,まだセックスの経験はないです。

もしかするとセックスに対する憧れだけなのかも知れません。

けれどそうした経験もなく,残りの人生を過ごすのもさみしいように思います。

女性を抱いたこともなく,その抱き合う暖かさも知りませんし,本当の射精の心地よさも充分には経験していません。つまりマスターペーションをやっても最後まで手が添えていられない不随運動があるのです。―−と書きますと,惨めな傷害者と写るかもしれませんが,相当,社会参加もしていて,活発な方だと思います。ただ,性に関しては今までタブー視されてきたので臆病なのかもしれません。

本当は,セックスだけでなくて,人生を一緒に歩んでくれるパートナーが欲しいというのが正直な気持ちかもしれません。

歳だからでしょうね。子供が欲しいとおもっても,もう遅いかなとあきらめかけてしまいます。

でも,高齢者の方もそうですが,男性には性欲が残っています。

性について興味がなくなったら,元気がなくなると思うのです。

長生きするためにも,また,施設の中で悶々としているセックスの出来ない若い重度な身体障害者達のためにも情報の発信・収集を思い立ちました。

ほんと,よかったらご一緒に考えましょう。

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じつは最初はわたしも性欲の処理から,セックスボランティアについて興味を持ちました。

障害年金では風俗は,高すぎて生活が危うくなります。

お店の前の階段,性病,詐欺などの心配――。

また,ひとときのことでいいのかと,その時だけで,虚しくなるばかりではないかとーー。

いまやどこでもAVは手に入ります。

しかし画像は画像,何のぬくもりもありません。

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   正直,ほんものの肌に接してみたいと思います。暖かさ,感触はとのようなものかとーー。そして満足感はどんなものなのか。

こうしたものを欲しているのは,真実です。

けれど,セックスだけで人間は生きているわけではないので,愛情,微笑み,感情もなくてはならないと思います。

むしろ,こうしたメンタルな面の方が重要であると考えます。

恋人−−,そう,そう呼べる人がいればいいと思います。

それで,多くの問題は解決するように思います。

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まだ,わたしの両親が元気でわたしの世話をしています。そのこと自身うれしいのですが,そのことが障壁となって,恋人,あるいはパートナーを作りにくくしているかも知れません。  

本来なら,そうしたパートナーを最も一番に見つけて欲しいはずの両親が,わたしから,子ばなれしないというか,あるいはわたしが甘えているのかー。

どっちにしろ贅沢な話ですが――。でも,自分の人生のために,打破しなければならないことはいっぱいあります。

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セックスボランティアは,一人の異性と性関係を持って,実態が愛を伴わないセックスフレンドのようにも思えます。それはそれでいいのかもしれません。

また,風俗業務と混同されるでしょう。

これはむずかしい微妙な問題です。

障害者を相手にしている風俗業者の営業妨害にもなるでしょう。

また,売春・娼婦と言われないとも限りません。

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しかし,ここに,メンタルな面で,別の重要なふたつ問題があります。

ひとつは,相手の障害者に本当に愛するパートナーができたら,離れられるでしょうか。

通常なら,嫉妬するものではないでしょうか。

ボランティアとはいえ,情を通じた人を他人に取られるという気にはならないでしょうか。

もうひとつは,その状態で障害者が,真に愛するパートナーを探せるかという問題です。

これはボランティアから,重度身体障害者が離れられるか,いうことでもあります。

やっと得られたセックスの相手です。離したくないのが人情ではないでしょうか。

そしてまた他の女性を一から探すものでしょうか。

仕事として,わりきればいいかもしれませんが――。

ボランティアは,ボランティア,利益追求ではないはずです。

しかし,遠距離に住んでいれば交通費など,実費は馬鹿にならないはずです。

なんか中途半端です。

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日本が,重度身体障害者の性的なケア,出会い,結婚をもっと公にできる国ならば,一対一の関係ではなく,公の制度としてセックスボランティアが発達していくでしょう。

しかし,重度身体障害者として性について,口にすることさえ,はばかられるこの国では,セックスボランティアは個人で解決していかなければなりません。

ならばセックスボランティアをしょうとするとき,もはや多くの相手に対してでなく,愛する人に行うのがいいように思います。

とはいっても,わたしの手は言うことを利いてくれないし,だれか助けて〜というのが,実情です。

全国に散らばる重度身体障害者の先輩たち,同輩たち,また介護関係者の方々,そして一般の方々,セックスボランティアのことだけではなく,重度身体障害者の性に関して,またほかの問題もいろいろ教えていただければ幸いに思います。

2005/07/31 ひっくりかめ


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