福祉オンブズマン養成講座第6回レポート
(高齢者の介護の特徴と家族の理解)
長生きするのも楽じゃない,と,治療院の待合室で,お年寄りがぽつんと言いました。往年の健康を顧みると,動かなくなった身体を悲しむ言葉でした。高齢者に接するとき,その気持ちを理解しなければ違った意味に取られかねない事実を感じるとき,自分の良い所を見つけておくことは本当に大事だと思いました。わたしのような世間に,はばかる障害者は,この点,有利かなと思いました。何かやってもらう時,自分の心地良さをアピールしなければならないからです。心を開いて頂くには,こちらが,受け止められる以上の広い心がなければなりません。
施設において,ある面で自由を制限された高齢者は,いかばかりかと思います。わたしにも76才の両親がいますが,今,享受している行動を押さえつけられたら,その人間性を否定されるのと同様に思います。お茶を点てることによって,残存機能をいきいきと発揮できた事例は心温まるものがありました。クリスタライズドアビリティ(結晶性知能)は,老いていくわたし自身にも,励まされる言葉でした。これは人間らしく生きるという事にもつながるなぁと思いました。認知症が未来に控えているかもしれないわたしたちすべての問題と感じました。
「これまで生きてきてうれしかったこと,つらかったこと」,「どのように死を迎えたいか」,「最愛の人に最後にかけたい一言」を考えたのは,新しい発見でした。死を根本に考えると,生きるということが物凄く大事に思えます。死ぬことは向こうに行くだけ,といった宗教よりも,ずっと生きるということに重みを感じます。「生活」という言葉が,「いきいき」と書くとは気付きませんでした。それでわたし自身も一日一刻を大事にしたいと思います。
家族というのは,ありがたいものです。しかし,本人の意思や行動を代弁,介護する上で,なりきれない悲しみは拭えません。しかし今回,家族の立場にたって,高齢者を考えるというのは,気付かなかった点であり,勉強になりました。
コミニケーションという点で,認知症の高齢者がその意味がちぐはぐしていても,意味があるという認識は,とても大切なことと思いました。論理とか,理屈にとらわれない,相互の関係に,コミニケーションの本質をみたように思います。『「青春」とは,アンテナを伸ばしていること』との言葉には,わたし自身のこれからの人生の指針を感じました。有限の時間を,有効に,有意義に,そして恐れずに生きられるように教えられた講義でした。
ここでも知識の習得と,人間関係は,肝要なものと感じました。目に付くような行動によって,より自分をアピールしていこうと思います。以前からある良くない前例や,自分自身の限界と思えていた部分を乗り越えていきたいと思います。そんな,元気が出る講義でした。今の安定した生活を捨てて,生活習慣の違う場へ赴く講師の逞しさに開拓者精神を感じて,また悔いのない人生を送ろうとする意気込みを感じて,爽やかになりました。わたしもそうありたいものだと,つくづく思いました。これからの人生に活気をつける意味で,高齢化が暗いものではなく,ようようとした明るいものになるように,まず自分自身から備えていかなければと思いました。