福祉オンブズマン養成講座第5回レポート
(福祉サービス利用者の権利擁護とQOL)
「手厚く介護されて当然」という世代が見られます。1980年代に身体障害者たちは,自立支援センターの先駆けを打ち立てていました。その世代も中高年に入り,後輩に受け継いでいってもらいたいと思っていると,古い友から聞いています。しかし,先駆者と後輩の間に意識の隔たりが出来て,話が出来ないということです。権利は,「正しい」ではなくて「ごもっとも」ということであるとのお話は,適確なものでした。権利の成り立ちを知らないなら,それはただ「正しいこと」として受け止められます。それらが権利意識として保たれれば,まだしも,現実には,「当然」とか「あきらめ」,「無関心」につながっているように思います。施設に入っている方たちは,この範疇に入っているのが現状ではないでしょうか。自己決定に関して,「充分に説明を受けてサービスを受ける」ことは重要な権利擁護に思います。また,憲法13条が出てきたのはすこし驚きでした。けれども,この規定が権利擁護に重要であることは心強く思いました。もちろん25条関係も肝要ですが,どうも抽象的で心もとない気がしていました。「エンパワメント(自分の力を向上させる)が実現されなければ,「アドボカシ―(侵害された権利を認識させる)」も空回り,おせっかいになるとの説明は,大変納得のいくものでした。わたしの両親もわたしのためを思って,余計なことと知らずに,余計なことをやっています。けれども,重身の言葉の言えない人たちに,意思表示のむずかしい人たちに,あるいは重度の知的障害のある人たちに,どのように権利意識を発動させるか,侵害されている権利を認識させるのか,むずかしいと思いました。快・不快のサインだけで,または選択肢を用意してそれを選ぶという方法で,それを実現するには,IT機器の活用が有益かと思います。どんなことがあっても,脳は働いているので,それを用いて権利の主張・表現の方法を見出すことが肝要に思います。
(成年後見制度と,地域福祉権利擁護事業)
個人の意思は,その人が認知症になったとしても,尊重される制度が民法の改正によって出来たことは,障害者にとっても,うれしいことです。預金の出し入れにカードが使えるとはいえ,多額の金額を持ち歩くことは危険を感じます。解約や満期となれば,自署が求められるようになりました。その点で,成年後見制度は有効です。しかしながら,自分で暮らしたいというとき,人を介してでなく,やはり自分で行いたいものです。それで判断能力が不十分になった方に,厳格に運用されるべきものと思います。というのも,成年後見制度には,任意後見監督人や,家庭裁判所が,監督することを本人に知らされない場合,悪意を持つ者が詐欺を,容易にしやすいということを知ったからです。ならば,本人に周知させることは本当に重要なことと言えます。それがなされているかといえば,そうではありません。幸いにも知らせられたとしても,高齢者にこれだけの複雑な制度を理解してもらうのは大変なことに思えます。わたしも両親に,このことを話し出したら,自分の問題として受け止めることは,むずかしかったようです。知らせても,お話にあったように,「不十分な能力」,「著しく不十分な能力」など,本人のプライドを傷つける文言が,立ちはだかって,邪魔をするように思います。それで,この制度を知らせる側としては,本当に謙遜になって,よく話を聴き,粘り強く,親切丁寧でなければならないと思いました。