「ついて来たまえ、士郎」

 試乗用ドールのコックピットを開けたところで、士郎はセムにそういわれ戸惑った。

「セム」

 背を向けて歩き出すセムに、士郎は思わず声をかけた。

「なんだね」
「ちょっと待って下さい」

 焦ったようにそう言われて、セムは歩を止め振り返る。

「せめて降りるまでは……」

 歩き出したセムを見て、士郎は慌てて操縦管から腕を抜こうとする。しかし焦っているために、うまく抜くことができずに苦心していた。

「……待っているから、焦らず降りてきなさい」

 飽きれた溜め息とともに、セムは試乗用のドールを見上げたのだった。


 約400年ほど前からアーフェンス大侯爵家により提案された機動装甲甲冑(通称・ドール)は、現在国内に当たり前のように存在していた。
 数こそ少なかったが、その力は大きく買われ、国家の軍事設備の中核をなしている。
 少数生産であるのは、アーフェンス大侯爵家が技術やそのノウハウを秘匿しているためであったが、特殊技能の流出を嫌うのは国内でもそう珍しいことでもない。
 そういった事情もあり、現在国内に現存しているドールは全部で400体程度である。その少ないドールを繰る者のことを、人々は畏敬と尊敬を込めて『騎士』と呼んだ。
 セムは現・アーフェンス大侯爵であり、ドール建造および整備総責任者を勤めている。また、セム本人のドール操縦技術が高いことでも知られている。
 ヴァルト王家治めるこの国内のドール繰者は総じてセム(もとい、アーフェンス大侯爵家)の教え子たちであるが、士郎はその中でもセムの弟子といえる数少ない一人であった。

 ようやく士郎が試乗用ドールから降りると、セムは着いてくることを確かめずに歩き出した。自分よりもわずかに背の低いセムの後を、士郎は追う。セムが振り返ることはまずないと知っていたし、セムは士郎が追い付けないほどの間抜けではないことをよく知っていた。
 長い回廊をセムはずんずんと進んでいく。その後を士郎は黙ってついていった。訊ねなければセムが何もいわないことは分かっていたが、ついていけばそれもいずれは分かることだろう。そう考えて、士郎は何も問わなかった。
 どれくらい歩かされただろう。ひたすら歩いて、セムは一つの扉の前でようやく立ち止まった。

「ついて来るといい」

 その大きな扉を開いたところで、セムはようやく振り返ってそうとだけ、いった。

「何があるんですか」

 答えが返ってくるとは思わずに問えば、セムは一言だけ、言った。

「Abyssだ」

 中に踏み入れると、妙にひんやりとした空気が頬に触れた。思わず身震いをして、士郎は慌てて距離の開いたセムの後を追った。
 薄暗い部屋の、少しだけ明るくなった場所にセムは立っていた。そして、セムの前には、

「ドール……?」

 士郎は思わずそのドールを見上げた。その装甲甲冑は士郎の今まで見たどのドールとも違った形状をしている。その白い色をしたドールに、士郎は目を奪われた。

「これはAbyss。士郎、君のドールだ」

 一歩、離れたところからセムはAbyssと呼ばれたドールを見上げ、言った。

「しかし、これは……」
「受け取れぬというのかね」
「そういうわけでは……」
 
 士郎はもう一度、白いドールを見上げた。白い羽根を持つ、騎士の姿を形取ったドールは何もいわずに二人を見下ろしているようにも見える。値踏みされている……何はなくとも、士郎はそう感じた。

「Abyssは君の為のドールだ。……それともGrainでは不服かね」
「……!」

 当たり前のようにそう訊ねられ、士郎は目を見開いた。Grainドール……特殊ともいえるそのドールは、Artifactドールのオリジナルであるともいえるものである。現存するドールは総て、SacredとGriefと呼ばれる二種の改良型といえるものである。
 今、目の前にある新たなGrainドールに、士郎は言葉を紡げないでいた。セムは当たり前のようにいったが、士郎にはなぜ自分がこの希少なドールの繰者に抜擢されたのか見当も付かないのだから。

「なぜ、俺なのですか」
「不満かね」
「俺よりも上手い繰者は沢山います」

 士郎が真っ先に思い浮かべたのは彩葉だった。Griefタイプのドールを繰らせれば、士郎など足下にも及ばないほどなのだから。

「それほど多くはないと思うが……君は自分を過小評価し過ぎだな」

 小さくため息をついて、セムは士郎に向かい合った。

「このドールは『君の為』の剣として生まれてきたものだ。君以外に繰ることはできぬよ」
「そんな事……」

 分からない、そう続ける前にセムが口を開いた。

「あるのだよ。信じる信じないは君の自由だが、このAbyssは君の宿命に組み込まれている、君だけの剣だ。乗るのも乗らないのも好きにするといい」

 小さく息をついて、セムはもう一度、Abyssを見上げて言った。

「宿世の定めは変えられん。だが、君は君の運命というものにあがらってみたまえ」



 結局、士郎はAbyssを受け取る。
 歯車は確かに回りはじめている。