軽い電子音を立てて、電話を切った。 新しい煙草に火をつけて、ぼんやりとその白煙を燻らせながら、俺は白いパソコンデスクの上におろした携帯を何とはなしに見据えた。 思わず笑みがこみ上げてきて、自分でも頬が緩んでいると分かった。 夜景が覗くカーテンの向こうに、俺は視線を運びながら今ではもう恋人ではない彼女のことを思った。 disconnect まず電話をかける前に。 利き手で煙草を持ち、もう一方の手で携帯を持ったまま、俺は暫く考えずにはいられなかった。 緊張と言うにはほど遠いのかも知れないのだけれど、何処かかけずらいというもどかしい感覚に支配されたのだ。 恐らく彼女は、俺が電話したとしてもなじったりだとか、そんな行動に出るわけではないだろう。 そんなことは改めて確認するまでもなく分かっている。 なんとなく、その事実に苦笑が浮かんだ。 「ま、いいか」 一人肩を竦めて、アドレス帳から彼女の番号を選び出す。 数コールで彼女に繋がった。 『もしもし』 変わらない彼女の声。 嘗てはこの声にも恋いこがれた。 そんなことを考えて、少し空いた沈黙を断ち切るように、俺は声を発した。 「まゆ?」 未だに変わらないこの呼び方で。 こんな会話の間に出来た沈黙に、彼女は『違う人が出ると思った?』だなんて聞くから、そうならなくて良かったなと内心安堵してしまった。 そういえば、その違う人を指す彼は今どこにいるのだろう? 俺のそんな疑問に彼女は『お風呂』と、さも当然の如く答えた。 今は恋人ではない彼女の、今現在の彼である俺の教え子はどうやら暖かい湯船に浸っているようだ。 俺も昔は、彼女の側にいて暖かく穏やかな世界に身を置いていたものだ。 不意に罪悪感がこみ上げてくる。 教え子である酒井に、『許せない』と言われたあの言葉が脳裏をよぎる。 「……今日、酒井に俺がお前にしたことを許せないって言われた」 そのまま、よぎった言葉を吐き出して俺は言葉を続けた。 この胸の内を。 忘れてしまっても構わないのだろうかと自問しても答えが出たためしがない言葉だ。 「ほんとは、ずっとおまえに悪いと思ってたんだ……でも……あの時、俺はああするしかなかった」 言い訳じみてしまったかも知れないと、考えずにはいられなかったのだけれど。 肝心なことを言うことは出来た。 悪いと思っていた、と。 俺は今、またあの時のあの瞬間に戻れるとしても、恐らくは別れを切り出すだろう。 だが、その俺の選択により、確実に彼女は傷ついたはずなのだ。 自分を守ることは大切だと思うから、あの選択は間違ってはいなかったのかもしれないと思う。 それでも、彼女を傷つけたという事実を、そんな言葉で忘れ去っても良いとは思えない。 だから俺はずっと言いたかったのだ。 謝罪の言葉を、彼女に。 『私も悪かったんだからおたがいさま。気にしなくていいよ』 俺の言葉に、彼女はこんな風に返してきた。 「っ」 初めは息を飲み、それがすぐに安堵の吐息へと変わる。 時間が過ぎ、彼女にこうして自分の想いを伝えることが出来た俺と同じように、彼女も変わったのだろうか。 それとも、時間だけの理由ではないのか。 そんな風に思うと、思わず顔が緩んだ。 「……まゆ、おまえ、『あの頃』よりなんかしっかりしてないか?」 あの頃だなんて、こんな風に口にすることが出来るのも、嘗てが懐かしい思い出に変わったからだろうか。 しっかりした、と感じた彼女の口調が俺の中での、すでに抱いていたのかもしれないのだけれど別離というものを強く感じさせた。 「あいつがそばにいるから?」 俺のそんな言葉に、彼女は『さぁ、どうかな?』などと飄々と返してきた。 思わず言葉につまり、俺はこみ上げてくる笑みをこらえながら一人肩を竦めた。 『あ、そういえば、てっちゃんのこと好きな子がいるんだって? こうちゃんに聞いたんだけど』 こらえていた笑みが、この言葉で思わず消えた。 煙草を落としそうになり、慌てて体勢を立て直す。 灰が少し机に落ちた。 「な!? あいつ、よけいなことを」 後で仕返しさせてもらわなければいけないな。 まったく。 俺は酒井の顔を思い浮かべた。 それを境に、俺と彼女は教師と生徒という関係だとか、そんな感じの実体験を含むのだろう恋愛観について少し話した。 こんな風に、時折笑みを交えながら彼女と話すという行為がひどく楽しかった。 そんな会話に区切りがついて。 彼女は俺を『てっちゃん』ではなく『杉本くん』と呼ぶと言った。 それが俺の教え子の望みらしい。 彼女と彼のそう言った関係を伺わせる言葉に俺は一人肩を竦め、『杉本くん』という大学以来の呼び名に思わず吹き出した。 懐かしい。 それから彼女は、自分のことも名前で呼んでは行けないと付け足して、俺の体を気遣うように、煙草の吸いすぎを注意した。 その言葉に、片手に持っていた煙草を思わずもみ消してしまったことに、自分で可笑しくなってしまった。 そんな風に話しているうちに、どうやら教え子が風呂を出たようで。 自然に電話を切る運びとなる。 そこで俺は、本心でこんな風に口にすることが出来た。 「酒井としあわせにな」 そして電話を切る。 先ほど消してしまったからと、新しい煙草に火をつけて、ぼんやりとその白煙を燻らせながら、俺は切ったばかりの携帯を何とはなしに見据えた。 思わず笑みがこみ上げてきて、自分でも頬が緩んでいると分かった。 夜景が覗くカーテンの向こうに、俺は視線を運びながら今ではもう恋人ではない彼女のことを思った。 幸せになって欲しいものだな、と。 そんな風に考えて瞼を伏せると、幸せそうに微笑んでいる彼女と、その傍らに佇む彼の姿が浮かんだ。 暫くそんなことを考えて、煙草を吸った。 メンソールが心地いい。 「俺も幸せにならないとな」 俺は一人そんなことを呟いて、フィルターまで火が近づいた煙草を利き手で消した。 新しい煙草を手に取ろうと箱を持つと、もう無いのだと言うことに気づいて、ダストボックスに箱を放る。 新しく煙草の封を切ろうと思い、俺は立ち上がった。 『そうそう、それから、タバコ吸いすぎないようにね』 耳に残る彼女のそんな言葉に肩を竦めて。 END ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 「WAFFLE」の江本さんに「MIDNIGHT 2 CALL」の杉本先生サイドのお話を書いていただきました(^▽^) (江本さんのサイトの5499&5600HITの記念に「Andanteの二次創作」(!!)をリクエストさせていただきました^^;) 読み始めてまず最初に思ったこと。 「このかっこいい人はだれ!?」(爆) 綾部が書くよりも何倍も何倍もいい男だよ!!杉さま!!(←勝手に命名) 江本さん、本当に本当にありがとうございますm(_ _)mm(_ _)m [綾部海 2004.04.06] |