※このお話は「A Kind of Masic」を読んでからお読み下さいm(_ _)m


さっき自販から買ったばかりの缶のタブを開けると、シュワシュワと音がしてサイダーの泡があたりにはじけ飛んだ。
落ちた場所は幸いなことにフローリングの床なのだけれど、白い炭酸が次第に透明になっていく末を見据えていたら何となく嫌な気分になった。
しゃがみ込んで、適当にたぐり寄せたティッシュで見なかったことにするためにその水滴を拭いていく。
全てが元通りになるように。



contagion



「あーあーあー、要何やってんだよ?」
座り込んで、ティッシュが水滴で半透明になっていく光景をぼんやりと見据えていたら、コンビニの袋を振り回すように持った天が帰ってきた。
「こぼしちゃったんだよ」
俺はそんなことを言って作り笑いを浮かべたのだけれど、床がまた元の通りに乾いたとしても、このティッシュのようにあるいは別の何かがそれまでの状態とはかけ離れた物になってしまうのだという事実に内心漠然とした焦りのような物を感じていた。
全てが元通りになるなんて事はあり得ないのかもしれない、一度変わってしまえば。
その変わると言うことが嫌で、今の心地良いとは言えないかもしれないのだけれども共にこうしていられる空間が壊れるだなんて考えただけでも嫌悪が浮かんでくるのだから、俺はこうして妥協しているわけだ。
けれどその妥協が変化を阻止するわけでもないから、俺達の関係には常々いろいろな人々が新たに顔を出す。
その一人が前田雪野と言う名前だったはずなのに、次第に彼女が俺達の関係と共にある時間が増えていく。
それは関係が変わってしまうことを嫌だと思う俺にとっては、見過ごしてはおけないことなのかもしれないと言うのに、彼女を拒絶しようと言う思いは決して浮かんでこないのだから自分が分からなくなる。
「ばーか」
天が唐突にそんなことを言った。
俺が振り返ろうとする前に、天も座り込んで、それで俺の背に体重をかけてコンビニ袋を物色し始めた物だから苦笑が浮かぶ。
背中が温かい。
そして天の背の重みを感じる物だから、自分はまだ頼っていてもらえるのだなと、変な感慨をいだいた。
「誰が?」
「要に決まってんだろ」
そんな短いやりとりをしていたらなんだか今抱いている考えが妙にばかばかしい物に思えてきた。
天がそこにいて、俺もここにいるのだから、この幸せな事実がいつか崩れることなど考えても仕方がない。
「炭酸振ったら当然そうなるだろ? まぁいいや、はい、チョコ買ってきた」
彼はそう言ってコンビニ袋の中から板チョコを二つとりだして、一つを肩越しに手渡した。
「これも甘いし、ソーダーの変わりにちょうど良いじゃん」
「確かにね」
包み紙を破りチョコを取り出して、一口食べると冷たいのだけれど穏やかな甘さが口に広がった。
そして固いと思った。
パキンと板チョコの割れる音がして、その音を聞いていたらなんとなくまだ秋だというのに、ずっと先のヴァレンタインのことを思い出した。
どうせなら、その時にチョコをくれればいいと言うのに。
口の中でチョコが甘く溶け始め、手に持っている方も微かにぬめりを感じさせた。
開けたときは、冷たくて固かったのだけれど。
やっぱり、こうして暖かい部屋の中にあるだけで、このチョコもまた変化していくのだろうか。
「ねぇ、天」
そんなことを考えていたら、ふと思い出した。
チョコのように冷たくも固くもなかったはずの前田雪野と言う彼女の唇をこの彼は奪っていたのだ。
最もその後は俺も同じ事をしたとは言え、きっと天と自分の意味合いは大きく違う。
あくまで自分は間接キスで天とキスしたつもりなのだから。
「んー?」
「雪野ちゃんになんでチューしたの?」
「っ」
同じようにチョコを食べていた天が、大きく息をのんでそれを加えたまま俺に振り返ろうとした。
だけど気づかない振りをして、俺は今までとは逆に天の背に体重をかけてやる。
すると彼も振り向くに振り向けない状態になったようで、背中越しに動揺しているのがありありと伺えた。
「ちゅ、ちゅーって言うなよ。ガキみてぇ」
「まだまだ高校生は子供だよ」
「要、自分だって高校生だろ?」
「話変えない」
「うっ……」
俺の言葉に天はつまると、チョコを一口食べた。
また、パキンという音がどこかから聞こえる蟋蟀の鳴き声と共に部屋に響く。
「なんでって……」
この話はきっと天も俺もずっと聞きたいと思っていたことなのだけれど、どうしても触れられなかった。
あえて触れないようにしていたのだけれど、そうしているのがまた不自然で二人の間に溝が出来てしまったような気分にさいなまれる。
「……要って、あいつとつきあってたのか?」
「なんで?」
「って、それこそ俺が聞きたいって、だってキスしてたじゃん」
「天こそ。じゃあさ天は雪野ちゃんとつきあってるの?」
「……つきあってねぇけどさ」
「それで、何でチューしたの?」
「俺が聞いてんの。つきあってんの?」
「先に聞いたの俺じゃん」
俺がそう言うと、天は気まずそうに黙り込んでしまった。
その気配に思わず苦笑が浮かぶ。
やっぱり天は俺が彼女を好きだと思っているのだろう。
実際にそうだった方がもうちょっと楽だったのかもしれないと思う。
今のままの決して変化がないわけではないのだけれど、それが俺の望む変化では決してないこの状況よりも、むしろ。
流れていたこの変な沈黙が破られたのは、インターホンの音が部屋に響いたときのことだった。
小気味よい音が、蟋蟀の鳴き声もチョコを食べる音も嫌な空気も全て忘れさせるように大きくその存在を主張する。
「あっ」
天がそう呟いて勢いよく立ち上がったものだから、体重を預けていた俺は後ろに倒れ込んだ。
頭を思いっきり床に打ち付けて、痛みと同時にまた苦笑が浮かんできた。
視界の先にはいったコンビニ袋の中に、チョコの箱がもう一つ見える。
「わりぃ」
結構な音を立てた俺の方に振り返り、天はあわてたような顔をする。
「雪野ちゃんに聞きなよ」
「へ? なにを?」
そんな天に向かい、俺は浮かんできた苦笑ではない笑みを向けてそう言うと、訳が分からないと言うように彼は首を傾げた。
「つきあってるかどうか、さ。雪野ちゃんでしょ、たぶん」
チョコだなんて普段買わない物をわざわざ天が買ってきたのはきっと、前田雪野という彼女のためだと思った。
「なっ、ば、ばか、その話絶対するなよ!?」
「りょーかい」
俺がそう言って寝ころんだままひらひらと手を振ると、天は念を押すように恐い顔でこちらを見てから、おずおずとエントランスへと向かう。
天井を見上げたまま、耳を澄ましていると天と彼女の声が聞こえ始めた。
その声は次第に近づいて来て、この部屋へと至る。
「こんにちわ」
彼女のそんな声が聞こえたから、視線を天井からドアへと向けた。
反転した視界のなかで彼女は笑っている。
「どうも」
飲み物を用意している天を後目に、彼女はひっそりと俺のそばに来て首を傾げた。
「なにやってるの?」
「転んでるんだよ」
「? ……ええと、お邪魔じゃなかった?」
「そうかも」
「ごめんなさい」
「冗談だよ、はい」
俺の言葉に一瞬、本当に申し訳なさそうな顔をした彼女に、コンビニ袋の中からチョコをとりだして渡した。
手にした感触から、やっぱり溶けている様な気がする。
「ありがとう」
「天が床に放置しといたから、たぶん溶けてるけどね」
そう言った俺に向かい彼女は面白そうに笑ってから天を見た。
つられて俺も視線を向けると、気づいた天が一瞬首を傾げてから俺を睨んだ。
「かーなーめー?」
「んー? なに?」
きっとさっきのことを言ったとでも思っているのだろう。
俺は知らん振りをして、起きあがりチョコの残りを食べた。
「い、言ったのか!?」
焦ったようにそんなことを言った天は墓穴を掘ったようで、彼女は俺と天を交互に見る。
「え、なになに?」
そんな彼女を後目に俺は肩をすくめた。
「言ったよ」
「言うなって言っただろ!?」
「仕方なかったんだよ」
「何がだよ!?」
「だって言わなかったら、箱を開けたときにチョコの溶けた分が急に出てきて服とか汚しちゃうかもしれないだろ?」
「……は?」
天は訳が分からないと言うように一瞬視線を彷徨わせてから、その先に彼女の手にあるチョコを見つけて口をぱくぱくと動かした。
金魚を思い出した。
蟋蟀の声が響いているというのに、金魚だなんて夏の風物詩はそぐわない。
けれどコポコポと音を立てる麦茶もまたその一つだ。
ずいぶんと前に二学期が始まっているというのに。
「て、天くん!? 麦茶こぼれてる!!」
「うわぁっ!!」
彼女の言葉に、天はあわてて手元に視線を落とす。
そこにはコップからあふれた麦茶が線を作ってどんどん広がっていた。
「あーあー」
俺はそんなことを言って、床から先ほどサイダーを拭いたティッシュを集め、コンビニ袋に入れた。
それから、そのティッシュの箱を掴み彼女に渡す。
「天にやって」
「あ、うん」
「は、はやくよこせって!!」
焦った様子の天と、その彼を手伝う彼女と、それを眺めている俺、と言う関係もまたそう心地悪い物ではない。
彼女によってもたらされる俺達の変化は、悪い意味での変化ではないのかもしれない。
実際にこうしていて楽しいというその事実が、それを証明している気がした。
そんなことを思って、床においてあったサイダーの缶を傾けると、炭酸の舌触りがゆっくりと喉へと流れた。
彼女からこの楽しいという思いが俺、あるいは俺達へと感染していくのだとしたら、それはそう悪いことではない。
「要も手伝えよ!!」
「はいはい」
あるいはその感染により、俺と天の関係もまた別の物になるかもしれないのだけれど、今よりはずっと良くなる可能性もあるのだから。
今のこの楽しいという思いを、存分に今楽しんでいこうと何となく思った。
いつか変化が訪れたら、その時はそのいつかにそれを受け入れればいい話なのだから。
今を楽しまないのはもったいない。
まだこれからも俺達の物語は続くのだから。


終わり


Copyright (C) 2004 Emoto All Rights Reseved



♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪

「WAFFLE」の江本さまに「A Kind of Masic」の後日談を書いていただきました(^^)
(今度は江本さんのサイトの9600HITをゲットした綾部はこりずに(!?)「Triangleの二次制作」をリクエストしました)
も〜"要と天の会話"とか"要と雪野のやりとり"がいいですよ!! カッコイイです!!(>_<)(自分の作ったキャラのはずですが...^^;)
それにしても、自らお茶を出すとは大サービスだね、天(爆)
江本さん、いろいろわがまま言ってすみませんでした!! 本当にどうもありがとうございますm(_ _)m
[綾部海 2002.9.7]

love top

Photo by natural