私立森澤学園高等学校付属皐月寮には毎年春、40人近い男子学生が仲間入りする。 藤原圭もその中のひとりであった。 入学式当日。 LHRを終えた圭は"寮に帰ってもすることがない"ということで校内をひとり散策していた。 昨日出会ったばかりの寮の仲間にも今日、顔を合わせたばかりのクラスメートにも、まだ圭には友人と呼べる存在がいなかった。 長身で無口で無愛想な"外側"が周りの人間に威圧感を与えてしまうことを知っていたし、元々人づき合いが苦手な圭は特別困ってはいなかった。 どうせ1ヵ月もたてば"人間関係の波"に巻き込まれるに決まっているのだから、しばらくこの状況を楽しもうと思っていた。 放課後は新入生の部活動見学の時間となっていたので、2,3年生はそれぞれの活動に精を出し、1年生は廊下や校庭をうろちょろとしていて騒がしかった。 圭も最初のうちはその群れをすり抜けながら、HRの教室がある新館と特別教室中心の旧館などをのんびりとうろついていた。 しかし、校内の隅から隅まで歩き回りさすがに疲れた圭は中庭に大きな桜の木を発見するとそこで休憩することにした。 上履きのまま中庭に出ると、紺色の学生服が汚れるのも構わずに圭は木の根元にどっさりと座り込んだ。 そして、太い幹に寄りかかるとふーっと息を吐きながら目を閉じた。 音楽室から聞こえてくる合唱部の歌声が耳に心地よかった。 いつのまにかねむっていたらしい...。 桜の木の幹にもたれたまま圭は目を開けた。 どうやら合唱部の練習は終わったのか、もう歌声は聞こえず、ピアノの音がかすかにしていた。 そして、圭は右手につけていた腕時計に目をやった。 (寮の夕食の時間まではまだ間があるがそろそろ帰るか...) そう思いながら圭が横に置いてあった学生鞄を手に立ち上がろうとしたその時... 『この気持ちはなんだろう』 突然聞こえてきた歌声に圭は動きを止めた。 ピアノの旋律に乗っかった歌声はどんどん新しい言葉を紡ぎ出していったが、圭には最初のフレーズが耳から離れなかった。 『この気持ちはなんだろう』 くりかえされる詩に圭は胸をぎゅっとつかまれたような気分になった。 そして、ゆっくりと立ち上がると、足は自然にその声のする方へと向かっていた。 旧館の3階。 開け放たれた音楽室の入口からその歌は聞こえていた。 圭は物音を立てないように気をつけながらこっそりと音楽室の中をのぞいた。 整然と並べられた机と椅子。 黒板の前には大きなグランドピアノ。 ピアノの前には圭と同じ紺色の学生服の少年が座っていた。 "彼"は圭に背中を向けていたが、10本の指が優雅に踊り旋律を奏でる様子は圭にもよく見えていた。 『この気持ちはなんだろう』 心地よいテノールに乗せてくりかえされるフレーズ。 圭は音楽室の入口に立ち尽くしていた。 ピアノの前の少年から目を、耳を離せずにいたのだ。 そして、歌が終わりピアノの最後の一音が姿を消すと、圭はほっと息をついた。 まさにその時、突然圭の後ろから勢いのいい拍手の音が聞こえてきた。 驚いた圭が振り向くと、制服姿の小柄な少年が"おさえきれない"という様子で手を叩いていた。 その少年の顔を見た圭は一瞬動きが止まった。 「優!?」 柳瀬優(やなせゆう)は圭の数少ない友人のひとりであり、圭にとっては唯一の"特別な存在"であった。 圭と優が共に過ごした時間は小学6年生の時のほんの数ヶ月であったが、その数ヶ月の間にふたりは深く堅い友情で結ばれていた。 そして、優が転校して数週間後、圭のところに優からの手紙が届いてから、ふたりはおたがいに日常に起こったささいなことを手紙で知らせるようになっていた。 中3の春、学校の資料室で"寮のある高校"を探していた圭は優の住んでいる街にある森澤学園を偶然発見し、そこに進学することにした。 圭がそのことを手紙で告げると、実は優の志望校も同じ学校だと返ってきた。 しかし、それ以後、おたがいに受験勉強で忙しくなり、手紙のやりとりもだんだんと少なくなっていった。 結局、推薦で進学を決めた圭は一般入試の優と顔を合わせる機会もないまま日々が過ぎていった。 そして、優が"森澤学園に合格した"という知らせを聞いてから圭はなんだか落ち着かなくなっていった。 優に会えるかもしれないとあの学校を選んだのに...優と同じ学校に通えることになったのに... どうして、自分は優と出逢うのがこんなにこわいのだろう...? そして、優のことを考えていると胸の中に浮かんでくる"不可解な気持ち"...いったいこれはなんなのだろうか? 「優!?」 思わず叫んでしまった圭はあわてて自分の口を押さえた。 突然自分の名前を呼ばれた優は驚いて手を止めた。 そして、大きな栗色の瞳で圭をじっと見つめた。 圭が優と顔を合わせるのはおよそ3年ぶりだった。 圭から見て優はあの頃のままだった。もちろん背も伸びて体つきも変化していたが、その瞳も全体的なやわらかい印象も変わっていなかった。 それに対して、圭はこの3年間で元々高めだった身長はぐんぐん伸びまくり、声も顔つきもすっかり変わってしまった。優はわかるだろうか? 圭は"こんなことなら手紙だけじゃなくて写真も送っておけばよかった..."と、今頃後悔した。 優はしばらく圭をまじまじと見つめるとおずおずと口を開いた。 「...ひょっとして...圭?」 「あ、ああ。」 優の言葉に驚いた圭はとまどいながらうなづいた。 すると、優ににっこりと笑った。やはりあの頃と同じ優しい顔だった。 「同じ学校だから絶対に会えると思ってたけれど、初日に会えてよかった♪ 圭、大きくなったねぇ!! ぼくなんて肩までしかないんじゃない?」 そう言って自分の横に立ち背比べをする優を見ながら、圭はまた"あの気持ち"が浮かんでくるのを感じた。 「お取り込み中失礼ですが...」 突然聞こえてきた声に圭は後ろを振り返った。 そこには、音楽室の入口によりかかって立っている少年の姿があった。 音楽室にいた人物はひとりだけのはずだから、この少年がさきほどの歌声の主だろう。 さっきは後姿しか見えなかったが、前から見た"彼"はびっくりするくらいきれいな顔をしている、と圭は思った。 そして、その少年の顔を見た途端、優の頬が赤くなった。 「あ、あの、下川青先輩ですよね!?」 「そうだけど...」 「あの、去年の定期演奏会、聞かせてもらいました!! 先輩のソロ、すごかったです!!!」 「それはどうもありがとう。」 真っ赤になって力説する優に青はにっこりと返した。 そういえば、優は小学生の頃から歌うのが大好きだった、と圭は思いだした。 "音楽の時間がいちばん好き"とよく言っていた。 手紙にはまったく出てこないので圭も忘れていたが、その点に関しても今も変わらないのだろう。 「あの、さっきの歌、『春に』ですよね!? 合唱部で歌うんですか!?」 「あぁ、あれは俺が趣味で独唱用に編曲しただけ。」 ("編曲"って...この人、さらっと言ってるけれど、結構すごいんじゃないか...?) 特別、音楽の素養のない圭でもこんなことを考えるくらいなので、優にいたってはまさに"尊敬のまなざし"であった。 「あ、あの、ぼく、この歌、大好きです!!」 「気が合うね。俺も好きだよ。」 その言葉に優はまるで自分が好きと言われたかのように真っ赤になった。 そして、そんなふたりを見ながら、なぜは圭は内心イラついていた。 「きみは合唱やっているの?」 青の質問に優はさらに顔が真っ赤になった。 「え、あの、中学の時に少しだけ...で、でも、下手ですし...」 「別に下手とか関係ないと思うよ。もし歌うの好きなら、合唱部入ってみない? 新入部員は大歓迎だよ。」 「は、はい!! よろしくお願いします!!」 優は勢い良くお辞儀をしたがその勢いがよすぎて転びそうになった。 「で、きみは? 藤原圭くん。」 そう言って自分に顔を向けた青に圭は内心驚いていた。 「...なんでおれの名前知っているんですか?」 「寮生だったら副寮長の顔くらい覚えとけよ。」 (え!?) そう言われれば、昨日の入寮式で紹介された副寮長は、こんな顔だったような...。 しかし、それにしても新寮生は40人もいるのに...まさかもう全員覚えているのか!? 圭のそんな考えが伝わったのか青はにっこりと笑った。 「さすがに俺も昨日顔合わせたばかりで全員は覚えられないが..."新入生代表"を断った入試トップの顔と名前くらいは頭に入れてあるぞ。」 「なんでそれを...」 「え!? 圭がトップ!?」 さすがの圭もあせりを顔に浮かべている隣で優が驚きの声を上げていた。 そんなふたりに青はいたずらっぽい笑顔になった。 「で、どうする?」 「ってなんでおれが合唱部に入らなきゃいけないんですか?」 「いや、別に無理にとは言わないが...せっかく"お友達"が入るからおまえもどうかなぁ、と。」 そう言いながら意味ありげな笑みを浮かべた青に、圭は自分の中のいらだちや恐れや"不可解な気持ち"をすべて青に見透かされているような気がした。 「それで?」 青はさっきの笑みを残したままくりかえした。 「ねぇ、圭もいっしょに入ろうよぉ!!」 そして、優が圭に無邪気な笑顔を向けた。 この"ダブルスマイル攻撃"(!?)に圭は降参せざるを得なかった。 「...わかりました...」 こうして藤原圭の高校生活は幕を開けたのだった。 |
前回は夏休みだったのにいきなり入学式に逆戻り...^^; 一応、今回のは"番外編"という感じです。 圭と優は今後も登場しますのでよろしくお願いします(^^) タイトルは本編にも出てきた合唱曲から(作中に出したフレーズは綾部もお気に入りなのです♪) |