「まったく、もう!!」 橘真優子(まゆ)はブツブツ文句を言いながら県立北高校の廊下を歩いていた。 母校でもあるこの高校でこの春から非常勤講師として働くことになったまゆは今日の始業式と入学式を心待ちにしていた。 職員の顔合わせや時間割の打ち合わせなどで何度か学校を訪れ、その時もそれなりに緊張していたが、今日は自分の教え子となる生徒たちと実際に顔を合わせるのだ。 まゆの心の中は不安と期待でいっぱいだった。 午前中の始業式ではほかの新任教師たちと講堂の舞台に上がり、簡単なあいさつをされた。 そして、式の後のLHRの間、まゆは午後の入学式の時間まで授業の資料作りでもしようと職員室に向かった。 そこで、職員室にいた教頭がまゆにひとこと。 「橘先生は入学式には出席しなくても結構ですから。」 「それってつまり"入学式には出るな"っていうことでしょ!!」 職員用昇降口で上履き代わりのスニーカーから革靴に履き替えると、まゆは正面玄関を後にした。 まゆの担当は1,2年の英語だったが、1年のクラスが圧倒的に多い。 だから、入学式を特に楽しみにしていたのだが...。 教頭にそう言われてすぐに帰るのもなんかくやしかった(!?)まゆはゆっくりと時間をかけて授業初日のための準備をした。 しかし、作業が終わってもまだLHRも終わらないような時刻...。 しかたがないので、資料を机の引き出しにしまうと、周りの教師たちにあいさつして職員室を出たのだった。 「いいもん。どうせあさってには会えるんだから...」 入学式の翌日は実力テストで、授業はその次の日から。 まゆは授業のある時だけ学校にくればよかったので明日はまるまる休みだった。 「...なんだかひとりで力入りすぎててバカみたい。」 人気のない廊下でまゆは思わず泣きたくなってしまったが、ここが"職場"であることを思い出し無理矢理シャキッとしようとした。 「あ、そうだ!! てっちゃんに"先に帰る"ってメールしとかなきゃ!!」 正面玄関を出たところでまゆは手にしていた革のバッグの中をごそごそとあさり携帯を取り出した。 まゆと大学の同期であり恋人でもある杉本哲史は偶然にもこの北高の社会科教諭となった。 現在、ふたりは半同棲状態にあったが学校側には一応そのことは秘密にしていた。 「えっと...」 まゆは左腕にバッグをひっかけ、右手でたどたどしく携帯のボタンをプッシュしながら歩き始めた。 「あれ?...あ、間違えた...」 まゆは完全に携帯の画面に集中した状態で、正面玄関から少し離れた駐車場へととぼとぼ歩いていった。 敷地内のあちらこちらに咲き誇る桜に目を向けることもなく。 そして、校門の前を通り過ぎようとした時...。 「きゃっ!!」 「わっ!!」 まゆは一瞬なにが起こったのかわからなかった。 気がつけば自分は地面にしりもちをついていて、目の前には...見知らぬ少年の顔があった。 少年も最初は訳がわからずきょとんとした顔をしていたが、すぐに自分がまゆを"押し倒してしまっている"ことに気がつきあわてて身体を起こした。 「あ!! す、すいません!!!」 真新しい制服に身を包んだまだ若干あどけなさの残る少年は耳まで真っ赤になってまゆに何度も頭を下げた。 「いえ、私もぼーっとしてたから...」 ちょうどその時。 「きゃっ!!」 強い風がふたりの間をすりぬけていった。 まゆは風に乱れる髪を押さえて顔を伏せた。 少年も突然の風に思わず目を閉じた。 そして、ゆっくりと目を開けながらまゆに視線を向けると...。 「あ...」 まゆの周りには風が散らした無数の桜の花びらがやさしい雨のように降り注いでいた。 そんな中、少年よりワンテンポ遅れて視線を上げたまゆはまるでその桜から現れたようで... 少年はまゆから目を離せなくなってしまった。 「どうしたの?」 「あ、べ、別に。」 まゆの声に我に返った少年はあわててまゆから目をそらした。 「あっ!!」 「えっ!?」 「すみません、荷物が...」 少年の言葉にまゆは周りを見回した。 携帯は右手にしっかりと握られたままだったが、バッグはいつのまにか左腕からすっぽぬけ、中に入っていた財布やらペンケースやらがそこらじゅうに散乱していた。 「あ、ごめんなさい!! 私が鞄の口、開けっ放しにしてたから!!」 まゆはあわてて鞄をつかまえると、膝立ちで散らばったものを拾い中に入れ始めた。 少年も立ち上がりいっしょに拾い始めた。 「晃平...なに、やってるんだ!?」 その声にふたりが顔を上げると、やはり真新しい制服を着た、なぜか少々息を切らした少年が立っていた。 「俺がぶつかって荷物ぶちまけちゃったんだよ。」 晃平と呼ばれた少年はばつが悪そうな顔をした。 「も〜、だから"学校まで競争"なんてやめようって言ったんだよ。」 「うるさい!! 保、おまえも手伝えよ!!」 保と呼ばれたもうひとりの少年も加わって"荷物拾い"は続けられた。 どうやらまゆはペンケースの口もちゃんと閉めていなかったらしく、消しゴムやシャーペンもバラバラに転がっていて、全部集めるのに結構時間がかかった。 「たぶん、これで全部だと思いますけど...」 晃平は地面に置いてあったバッグを手に取るとまゆに差し出した。 「ほんとにごめんね。どうもありがとう!!」 まゆがにっこり笑うとふたりの少年はへへっと少し照れた顔をした。 「あなたたち新入生?」 「あ、はい。」 「それにしては来る時間早過ぎない?」 まゆは腕時計を見ながらそう言った。 入学式は1時からだからまだ2時間以上あるのだ。 「せっかくだから早く来て学校の中、探検しようと思って。な?」 いたずらっぽく笑う晃平に保も笑顔でうなづいた。 そんなふたりに思わずまゆも笑顔になった。 その日の夜。 「うわ...花びらがいっぱい...」 まゆがバッグを開けてみると、ノートや教科書の間に桜の花びらがまぎれこんでいた。 自分がバッグに戻す時は一応花びらを払っていたので、あの少年たちの仕業だろう。 「やっぱ男の子だなぁ。」 まゆはくすっと笑いながら、バッグの中身を順々に自分の机の上に広げていくと... 「あれ?」 まゆの手には見覚えのない腕時計が。 男性用のアナログ時計で革のバンドはだいぶすりきれていた。 「あのふたりのどっちかの...?」 文字盤に目をやると秒針が動いていなかった。 まゆはためしに軽く振ってみたが動く気配なし。 「...電池が切れてるのかな?」 翌日、まゆは近所の時計屋に持って行ったが、どうやら電池切れではなく壊れていたらしい。 まゆは「修理にいくらかかるかわからない」と言われ、そのまま時計を持ち帰った。 「どうしよう...」 ひょっとしたら元々この時計は壊れていたのかもしれないが、それならわざわざ学校に持ってくるはずがない。 おそらく時計は晃平のもので、まゆとぶつかった拍子に落として壊れたのだろう。 授業初日、15HRに晃平の姿を見つけ、時計をつけていないことを確認したまゆはその確信を強くした。 そして、その日、まゆは壊れた時計を修理に出したのだった。 思ったよりも修理に時間がかかり、やっとまゆの元に戻ってきた翌日、まゆはポケットに古びた腕時計を入れて15HRの授業に向かった。 授業の後、まゆは晃平に時計を返そうとしたが、彼の腕にはすでに真新しいG-SHOCKがあった。 そして、まゆは時計をポケットに入れたまま家に帰った。 ♭ ♭ ♭ ♭ ♭ 「あれ...まゆ、この時計...」 晃平の言葉にまゆはぎくっとした。 晃平は机の引き出しを開けたまま、古びた腕時計を手にしていた。 「こ、これは、なんでもないの!!」 ベッドに座って本を読んでいたまゆはあわてて晃平に駆け寄ると時計を取り上げ、後ろ手に隠した。 「なに?...ひょっとして"思い出の品"とか?」 なにもなかったふりをして読書を続けるまゆに晃平はいたずらっぽく笑った。 (...忘れちゃったのかなぁ?) "犯罪者のような気分"(!?)だったまゆは晃平の反応にちょっとほっとした顔になった。 「あ、そういえばさ...」 「ん?」 「俺、高校に入学した時にそんな感じの時計もらったんだよ。」 (ぎくっ!!) まゆは心臓が飛び出すんじゃないかと思うくらいびっくりしたが晃平は気づいていないようだった。 「それが親父が使わなくなったので、俺は"そんなのいやだ!!"って言ったんだけど、親父もおふくろもきいてくれなくて。」 「ふ〜ん...」 「それで、そんな親父くさいのつけるのいやだったから制服の胸ポケットに入れといたら、いつのまにかなくなってて...」 (やっぱり...) 実はまゆは今日まであの時計が本当に晃平のものか確かめたことがなかったのだ。 「おふくろにすっごい怒られたんだぁ!! 一応"落し物コーナー"見に行ったんだけどなくって。」 (そうか...職員室に届けておけばよかったんだ...) まゆは今さらながら自分のいたらなさに後悔した。 「で、やっぱ時計ないと不便だからって新しいG-SHOCK買ってもらったんだ。」 その時のことを思い出したのか、晃平はうれしそうににかっと笑った。 あれから2年たち、晃平も少年から青年へと成長したが、その笑顔は変わらないように感じられた。 そして、そんな晃平にまゆも自然と笑顔になった。 あの時と同じように。 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 初めての"まゆ・高校教師時代のお話"です(^^)(と言っても"それっぽい"感じが全然ないですが^^;) タイトルは渡辺美里さんの曲から。最初と最後の一文はその歌詞からです。 こっそりと保も登場しているのは綾部の"愛"です(笑) [綾部海 2004.4.8] |