昔日試歩





冨田冨
全首脚韻付
REPAS^OJ PROVAJ EN PASINTAJ JAROJ


Utaaro de Tomita Tomu
C^iuj utaoj kun rimo
1989〜90



かそけくは
ふしぶしきしむ
夜に編まむ
わが史まづしき
裸形かなしむ
Artikoj svage
jen stridas nokte, kiam
tristante l' nudon
malric^an mi mem muntos
nu historion mian.




序歌
Uverturo


何なしし
八十歳(やそとせ)あまり
ひとつ過ぎ
蹌踉とまた
あゆみいでたり

Kion faris mi ?
Plue pas^as nun mi ek
per du piedoj
jen s^ancelaj kun l' ag^o
jaroj unu plus okdek.

かへえりみる
われの世過ぎの
ほそぼそと
檜山ふきに
立ち残る篠

Sinteno mia
rigarde rememora,
apenau^ restas
en cipresar' profunda
jen bambueto sola.

四季知らぬ
無粋の身うち
ひろげ見す
貝となり得ば
閉ぢたらむ口

Nun mi fikorpon
klarigas ne en lerno
gracia pri kvar
sezonoj, c^ar ne estas
mi ja konkul' en fermo.

通り雨
ひとを濡らすも
是非なかれ
日の目見せつつ
迫るむらぐも

Se pasos pluvo
jen iun malsekige
permesu, lume
kun suno proksimig^as
nubaro iom dike.




ころがれよ石!
Sin s^ton' forrulu!


生徒われ
頼れる師にし
移られぬ
藪に蹴りても
ころがれよ石

Instruist' g^is nun
por mi ja korfidato
transiris foren,
ec^ vepre sin forrulu
do s^ton' c^e piedbato!




積み重る
鬱気をエス語
独習に
やらむとするも
晴れ切らぬ雨後

就職後
またもエス語と
関わりぬ
良心しかと
保つ師のもと
(倉地治夫師)

受講生
只の一人に
兄弟子の
品川弁も
入る愉しみ※
(同志広瀬仁)

※後姓中谷

自由化の
波退きてゐつ
学生ら
ひそかに寄れる
下宿(やど)の一室
(社研グループ)

自由なき
世と変る訳
まなぶ書は
あれど携え
行くがあぶなげ

学ぶべき
エス語と書とに
占められし
聖徳太子
ならぬうつそみ

職変へて
今ははげまな
雇われし
記帳事務にと
かかるすぐさま

池あれば
家鴨あそばす
とはいへど
製品評価
日を追ひて増す※


※山口自転車工場。
のちに社会党から
出た山口静子(ママ)氏は
当時工場主の愛娘
であった。

Metallaborista Sindikato
apartenanta al Tutlanda
Konferenco de Japana
Laborista Sindikato,
japanlingve t.n.Zenkyoo




脇道
Flanka vojo





谷あるき
常とせる杣
すら逸らす
滾ちて棲む
早瀬なりとな

Jen fame fluas
minace la torento,
evitas do g^in
ec^ arbhakist' en valo
ja c^iam kun talento.

エス語をば
無産層への
的かかげ
講師来たるか
この本所へも※

※エスペラント講習会が
本所の帝大セッツルメントで
開催された。当時本所柳島
に下宿していた僕は直ちに
参加した。

教員を
やめてエス語に
一筋の
画筆を糧(かて)の
普及化の鬼
 (中垣虎児郎師)

帰途につく
受講生らに
紛れつつ
尾行(つけ)ゐし者が
呼べるくらやみ

学生に
流行(はや)れるマント
着し男
寄り来て約す
土曜訪はむと

現場員
ひとり紹介
せよといふ
なれどもわれは
事務の新米

素人の
われは危ぶむ
オルグはや
無知のわが友
煽り追ひ詰む

何なすも
急くは危ふし
異な葉もつ
もうせんごけに
捕はれむ虫

柿ならば
熟れ頃いつと
眺めむに
禍(まが)つ手が伸ぶ
横合ゆつと

あれ見よと
われ乗せてより
私服指す
逢はむ二人に
縮む道のり

法とやら
触れて泣く泣く
しりぞけば
事務の机(き)に寄る
ゆとりとて欠く

エス語受講を
全うせずに
よそ事に
関はりたるも
うちうちの罪

あはれ去る
エス語のとりで
きづくべき
手懸りたふと
かるを失くして




結集
Unuig^o





国境を
超えて仲間を
殖やしゆく
絆と育つ
一つ言葉よ

Unuig^o
Jen lingvo sola
kreskanta kiel noda
ligil' de fratoj
ja translandlime pli kaj
pli per ni multigotaj.

柄になき
身のほど思案
しつくせば
エス語のみにと
的をしぼらむ

新宿に
受講者終はりし
仲間たち
核とし寄れる
熱意ひしひし

芝三田に
受講経て来し
ともがらを
ぬきんで弾む
鍛冶屋頼もし
(同志中台一郎)

岩角に
銃把打ち当て
怒りけむ
先輩起てり
時を移さで
(同志西岡知男)

仙台ゆ
手だれの小松
移り来て
地区のたかぶり
はた目にも立つ

(城南地区)
 当時僕は洗足の長
兄宅に厄介になり城
南地区にぞくしていた。

ABC(アーボーツオ)
君は歌にて
教へ出す
蒲田工場※
消組と組みて

(同志永浜寅二郎)

※新潟鉄工所蒲田工場

学篤き
あるじの和目(なごめ)
慕ひ寄る
ロンドの外に
すだく虫の音(ね)
(比嘉春潮)

学習の
集ひに動議
いできたり
予定狂はす
継げば気疎(けうと)き

エス語抜き
討論集会
かず増して
学ぶ暇など
あるべくもない

集ひ来む
人を結束
させ得るは
エス語ならむに
論鋒を研ぐ

入会に
資格は要らず
気まぐれに
入り来し者が
論議ゆがます

謬見の
根見破る
君の眼が
本屋商賣
措きて座に来る
(同志石内茂吉)




同志達
Kamaradoj





同志(カマラード)
川名片笑む
胸をかも
病みてやつるる
頬が然(しか)せむ

その巡る
ロンドいくつを
活気づけ
動かす君は
水を得し魚
(同志広瀬仁)

転びても
只では起きぬ
健(したた)かさ
君が動ぜぬ
物腰に見む
(同志中平孔三)

くりくりと
動く円ら眼
うさ知らぬ
同志(カマラード)よな
中部の要
(同志依田喜代次)

その笑顔
見え来るのみに
座は和む
植字工とふ
誠実の君
(同志須藤実)

君・僕と
男言葉に
舞踊師の
姉ははしゃげど
妹黙(もだ)に
(同志近藤姉妹)

帰宅して
準備し終り
集会(ロンド)待つ
君を訪ひゆく
途次幾曲り
(同志木下忠三)

公然と
名乗れる片(ビラ)は
君よりと
半ば訝り
従ひしはや
(同志鈴木唯一)

会議終え
出でて直ちに
放尿す
かの窪川が、と
憤る君◆
(同志坂井松太郎)

役目柄
多忙きはむる
書記長よ
何ぞエス語に
時譲り得る◆
(同志塚本周三)

身のこなし
いつも迫らぬ
デンマーク
公使館付き
仲間Mouam◆
(同志殷武厳 [Eun Mouam])

岡山を
逃れ来てかく
潜みつつ
君は書き出す
エス語原作
(同志岡一太)

原紙切り
巧者の仲間
三浦より
教はるすべを
糧(かて)と頼らな※
(同志三浦二郎)


※失業中の僕は毎朝
新聞を見て筆耕の仕事
を探した。一枚いくらの
宛名書の筆耕よりは原紙きり
の方が分がよかった。

しばらくは
君の寓居に
寄食しき
慣れぬ文案
作(つく)り当て込み◆
(同志奥戸武郎)

弁護士の※
二階を借りて
自炊せり
原紙切りもて
活路ひらきて
 (大野氏宅)


※一階に弁護士事務
所があってのちに社
会党から代議士とな
って出た大野某氏は
そこの書生であった。
正確には大野氏宅だ。

共棲(ともずみ)の
縁は異なもの
ふと会ひし
訛似通ふ
元教師との
 (江連平君※)

※新興教育者連盟?の
江連平君とは城南地区
のどこかで知り合い意
気投合して共棲した。
彼は栃木県出身で僕は
茨城県、隣県のなまり
はよく似ていた。

長々と
市電のりゆき
通ひては
君と働く
無償いく月
 (同志栗栖継之進)

集め来し
エス語の手紙
訳し編み
月報つくる
原紙切(ガリ)のお手並み
 (PEK)

密かにぞ※
国を出づらむ
君まもれ
遠泳こなす
短躯豪胆
 (同志中台一郎)


※原紙きりの仕事もそう多くはなく、僕は江連平を置い
たまま下宿を出てカンダのPEUの事務所に移った。ドイツ
で開かれるIPE大会へ代表として中台君を送ることが城南
地区で決議されたが本部で否決された。それを押して
中台君と古藤氏が出発した際事務所に押しか
けて来て在金を持って行った。彼らに同情的であった僕
は見て見ぬふりをした。のちに古藤君はしり込みし、中
台君はソ満国境を越えてソ連側に捕われ、危ふくスパイ
視されるところで追放された。その詳細は中台君の自伝
にゆずろう。





逃避行
Forir' eskapa





軍いまや
要路威圧し
飛ぶ蝶を
追ひては延ばす
我意の道筋

ある時期は
本部に詰めき
その筋の
私服しばしば
来たり尋ねき

われら為す
国境ごしの
文通も
盗み見らるや
着く以前にも

何の名分
ありて信書を
盗み読む
その筋につく
エス語知る徒よ

訪れて
紳士然たる
憲兵の
私服ほほ笑む
なにげなき春

その筋も
兵の私服も
訪るる
本部くらめて
退かぬ梅雨(つゆ)ぐも
あてもなき
甘雨待つげに
立つ樹樹を
萎やす旱か
鳴き細る蝉
 (PEUに弾圧迫る)
>

エス語まづ
措きてか受けむ
兄事せる
人がとりもつ
就職の件※


※刑事や憲兵がやってくる
本部詰めは得策でないと
考えて、僕は市谷刑務所
の西の高台に下宿した。
前に問題を起こした事が
あるので敢えて本名で住んで
いたが、がり切りの仕事は
僕の雇い主である神田の錦
文社から戸山の陸軍経理
学校詰めとなってその
教材を扱った。


その筋が
睨むエス語を
措きて発つ
仲間も知らぬ
わが逃避行




岩と峰と歌
Roko, montpinto kaj utao


つまづかせ
くすぼり残る
榾なれば
燃やし尽くせと
粗朶ひろひをる

Mi alkolektas
hejtaj^on por ke
elbrul' al hejtlignero
eblas, g^i restas al mi
stumbliga jam fume nur.




榾燃やす
粗朶かげに其(そ)よ
山行は
二年目にして
やまひ膏肓

補充兵
輜重輸卒が
山を行く
頼むは若さ
ほどへては無我

初歩はまづ
高座の谷を
登り詰む
そばだつ峰の
岩とつつじよ
(六甲荒地山)

ひた登る
険しさ余し
汗あえぬ
頂上の岩
天狗塚指し
(六甲長峰山)

主峰より
岩頭に至る
崖こゆる
擬似懸垂にのみ
綱は足る
(雪彦山)

繊(ほそ)けれど
若さに溢る
従へと
帰路にぞ君は
歩幅ひろぐる
(小川正十郎氏)

故里の
丘には無かる
岩なれば
一目見つるが
病みつきとなる

岩も峰(ね)も
夢の原質
たひらかに
つづく林野は
不毛にと帰す

平地にぞ
振り下ろす鞭
受くべきは
岩も峰もなき
この胸のうち

駆けいでよ
平地のほめく
真日のもと
繊き身の影
ふり放つべく

足弱く
行けば山には
限られき
こころの挫け
癒す峰(ね)と岩

その筋は
わが逃避行
知りながら
目を離しけむ
山からも疾(と)う

継之進
つとに神戸に
移りゐて
ますます励む
エス語もろ手に

エス語わが
措きしとはいへ
相手替え
文通はなす
身を保つ知恵

国柄を
思ひはかれと
気を配る
文通は柔き
糸とほす針穴(めど)

昨日今日
明日も費やす
便りなり
限る友へも
いとまかつがつ

エス語すら
気の張るものと
成り終り
新たに生る
ストレスの素

ストレスを
解き放ち得る
何あらむ
書店に寄りて
歌誌など捲る

歌といへば
啄木の外
しるなかる
われを把へし
斬新と古雅
(前川佐美雄師)

何やらむ
挫折負ふらし
そを超ゆと
師の詠ます勁(つよ)さ
げに類(たぐひ)なし

順ゑがく
転向者生くる
すべしらず
師は樹に登り
草くぐりぬる
(高見順作
「故旧忘れ得べき」)

山づとの
虎杖(いたどり)めける
歌なども
見給ふ師かと
恥(やさ)しかりける

思ふこと
さまになし得ぬ
拙さを
嘆きてまたも
山に入りてむ

樹林縫ふ
水ひそやかに
径に添ふ
昏さ名に負ふ
命迷の谷
 (六甲)

石重ね
枝先曲げを
目印に
師の跡つけし
滾つ岩瀬よ
(山田奈良雄師)

ならひわざ
懸垂の足
着地すと
仰向けば師の
笑ます目差(まなざ)し

手探りに
結び合ふすべ
覚えむと
綱もち立てり
師の指示はむべ

生徒らに
次ぎて懸れる
われをしも
師は岩頭ゆ
導かれける
(森本次男師)

登山歴
袴に潜め
座し給ふ
師は面差しに
青春を留(と)め
(仲西政一郎師)

〈錬成〉の
熟語も浮かぶ
前夜にて
三師率ゐる
山小屋倶楽部

身のほどを
敢てし受けし
果報よな
山の猛者らに
師事するを得し

保護司K
訪ひ来ぬ同じ
山好きの
元カマラード
他意はあるまじ

司法省
勤めなりしが
大阪に
移りてKも
ついに保護司か

保護司K
やはり山好き
とはいへど
その役目柄
山男付き

犬連れて
Y攀ぢゆくと
保護司従(つ)く
その役超えて
興湧くか不図

寝袋の
保護司添はしめ
Y眠る
自(し)が寝袋に
犬を抱き締め

独り行く
拗ねYなどと
いはれしが
実はそれとて
ままならぬ事

司法省
勤めは徴兵
いかなりや
とまれその身の
安かれよK
 




作歌初歩
Komencanto por versi utaon





花むらが
蝶を呼び込む
共存の
ときのおくゆき
いかにして詠む

小賢しき
問ひかけやせし
汝(な)が噛むは
釜の底つく
焦げつきの飯(めし)

向つ峰(を)に
豆腐凍てさす
家あるを
遠望み来て
詠むと夜更かす

知る事の
なお少なきに
詠みいだす
知りて超えよと
導かれしに

思想とは
概念ならず
声調と
導きぬがに
師のおもむかす

リズム感
をどる歌作を
はたと止め
論陣を張る
師の友信雄

歌作り
止めて久しき
信雄とふ
ランボー張りの
コクトーびいき

猫といふ
のみにて
猫を浮かばせよ
詩人なればと
さすがコクトー

胸を打つ
場面繰り出す
調べよと
聴きほれ見とれ
座して譲らず
(石川信雄氏歌集シネマ)





是か非か
C^u prava au^ ne?


軍を立て
諸省が生活(くらし)
締め来るも
はや膠着の
戦野ゆえらし

Ministrejoj
restantaj sub ombrel' de
l' armeo s^paras
nun vivtenaj^ojn,
front' gluita estus certe.




山に行く
われの常づね
負へるもの
合羽とシャツと
飯(めし)と罐詰

戦争(いくさ)とは
為すまじきこと
なにゆゑと
自問し怒る
そは論のそと

戦争(いくさ)とは
何のかたどり
折あらば
ひとり探らむ
新刊書選(よ)り

読まむかな
〈天の夕顔〉※
〈日本の
橋〉などいとま
ととのへてなほ


※天の夕顔(中河与一作)は
無償の愛をもって、日本の
橋(安田与重郎作)は私的表
現をもって日本の美を強調
し、共に当時のっ青年たち
を惹きつけた。

聖戦の
在り得や否や
あらばこそ
美もて進めむ
献身とかや

無礙に咲け
茨白きと
鳥獣
くぐる木叢(こむら)の
ひめくずの黄と

献身と
言はずに捨身
とこそ言へ
前者は時に
非理に利せしむ

戦ひの
後盾たる
物欲しさ
責めつつ弱し
軍に触れざる

私利私欲
貧るを討て
とは言ふも
仕組みに触れぬ
まやかしの筆

戦争(いくさ)とふ
事なじり得ぬ
われにして
何の思想か
温存し得む

思想とは
平和を守る
民心を
導き入れむ
構造に依る

抱き来し
思想を矯むる
なかりしと
現実(うつつ)に言ひそ
嘆き重ぬる

今はもう
戦争(いくさ)に寄らず
風月に
徹し切らむか
それも目に立つ※

※戦争に協力せぬ歌誌は
にらまれた。

氾濫の
水嵩いや増す
へだたりに
施すすべも
なけむ今日明日

打ち濁り
渦巻く川に
浮き沈み
流されてをり
もはや定かに

楔打ち
忘れしよ かく
書を積めば
苦もなくゆがむ
本棚の枠

楔なせ
現実(うつつ)の理論
強ひられし
うすら目にすら
ものの見え来む

戦時下に
われら進めむ
陣を張り
節守(も)る君ぞ
迎合はせぬ
(中田忠夫氏)

血脈を
つぐべきあたら
若人を
何もて呼ぶや
戦野の死者ら

勧むるも
守るもおよそ
自由にて
文化は強ひず
強ひられずとぞ

彼ら為す
事こそ知らね
生死(いきしに)の
境が墜とす
自(し)がこころがね

泥沼に
墜ちて脱かれぬ
足のむた
吸いつく蛭も
ここだおりてむ

あれあれよ
傾ぎ波打つ
人なかに
脱けて踏まれて
かたなしの靴

山行かば
良けむにといふ
愚かさよ
既に<倶楽部>も
音信不通

兆銘を
やはか認めず
さればこそ
虚しけめビルマ
〈民族自決〉

祈られて
ためらひまさむ
神添ふや
友が往く日の
仕事手付かぬ

傾ぎゆく
身よ立ち直れ
虚に酔ひて
恥知らずまで
堕とすか己れ

われすでに
衆愚のひとり
雑炊に
ありつかむとて
列に待ちをり

今日もまた
背丈かがめし
卑屈さの
並みてありつく
一杯のめし

休み日を
稼ぐと請けし
倉番の
当ては昼餉の
純にぎりめし

駆り出され
丸太ひときは
太かるを
転がす刹那
をののけり身は

生れつき
何せひ弱く
ありければ
その身守るに
職も替へまく※

訓練に
夜学も辞さぬ
わが励み
徳とし人は
拾い呉なむ
 

※東京での浮浪の生活から大阪の松竹株式会社に
就職した僕も、生来の虚弱体質から、徴用で慣れ
ぬ職場へまわされることが心配で職業訓練所の夜
学に通ひ旋盤などを習ってゐた。それを「なかな
か出来ることではない」と買ってくれて、その人
が常務をしいいる大阪のセメント会社に移ること
ができた。




終戦前後
Antau^ kaj post la militfino


物つくり
または動かす
者は知る
物なき者に
戦争利あらず

Bonscias tiu
ja kiu movi volas
au^ mem produktas
artiklon, ke milit' ne
tiun sen l' aj^'favoras.

徴用を
避けむと竦み
後にせり
演劇映画
畑(ばたけ)佳かるに

世に慣れて
空疎化示す
わが歌に
若者同(どう)じ
君は組せず
 (同志西岡知男)

わが歌の
傾く臭み
吐き捨てて
知男作歌を
始む即座に

台湾に※
鱶釣りゐしも
歌詠むも
物うごかねば
収まらぬ肝


※同志西岡は城南地
区で古本屋経営のの
ちカルピスに帰参し
て台湾に渡っていた。

海行けば
山行けばとて
知男釣る
憂さを晴らすも
躍る魚もて

鱶釣りと
猟をたしなむ
あきんどの
歌論つづけば
警報もやむ

これやこの
敗戦待ちの
ひもじさを
耐へ忍び抜け
兎にも角にも

焼け跡に
萎えしぢしばり
よみがえり
黄な花咲かす
八月かかり

ふためきの
われの八月
十四日
兵舎側渠に
空爆逸らす

戦争(いくさ)終わるも
われはふつつか
芯あらぬ
エス語と山と
歌の好事家

伏してゐし
者らしたたに
類を呼ぶ
戦争を宥し
をりしわれだに

演出家
作歌俳優
詩人など
寄るに列り
来し方を悔ゆ

学生ら
連れある現(うつつ)
まぎれなく
岡(潔)先生ぞ※
鳴らすどた靴


※数学者岡潔先生、当時
大阪の大学の教授であっ
たが、のちに奈良女子大
に移られた。

意気合ひて
歌誌を始めし
おもほえば
友ら大方※
すでに杳(はる)けし


※関西在住の同志らが寄
り合って歌誌を創刊。大
阪はプロ歌人同盟にいた
自由律の萩原大助、足立
公平が中心となり、提携
から、西岡知男と僕が参
加した。萩原は二年ほど
後に急性肋膜炎にかかり
急逝した。あとの二人も
もういない。

戦後たまたま
茶房アラスカ
にて遭ひし
かの山の友※
いかに過ごすか


※山の例会でいつも先導
して呉れた彼は当時郷里
の滋賀県で共産党農民部
長となっていた。

口ほどに
なきしくじりを
われに見て
咎めぬ君に※
いたく恥ぢしよ


※同志宮本正男。戦後の
粗悪鉄筆の使用法を知ら
ず、エスぺラントテクス
トに失敗した僕は恥しか
った。

   
_________________________


和文の短歌及び大題下のエス訳は1989年中の作、小題下のエス訳は1990年4月の作。和文短歌173首、エス訳14首である。最初からの5首と後尾の3首は回想であるが、その他はすべて当時の心境に戻つて詠んだ積りである。和文の脚韻はエスペラントの揚抑韻 (trokeo) に準じて最後の音節と最後から二番目の母音を同じにした。諸賢のご叱声を乞う。