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富士山について気になるニュース

                                                                       

               
日に3回の観測「全体見えた日は36日間」
  富士市は「富士山観測の記録」(2009年度実績)をまとめた。一日3回の観測時点すべてで、全体が見えたのは36日間、逆に全く見えなかったのは113日間あった。平地で晴天であっても周辺の雲や霧によって見えない場合があり、特に夏場にその傾向が強い。09年の「富士山の全体が見えた日数」は午前8時観測で121日。全体が見えたと一部が見えたを合わせると221日に上った。3回の観測時刻すべてで見えたのは36日間、前年に比べて7日間減った。年間で晴れた日は173日間あったが、全体が見えた日は121日間、(午前8時観測)。晴天に必ずしも富士山が見えるわけでなく、晴天率と見える率は比例していない。
1991年から年間状況を見ると、全体が見えた日は年平均130日間、逆に全く見えなかったは同158日間だった。3回の観測すべてで全体が見えた日は年平均53日間、逆に全く見えなかったは同118日間で09年は平均を大きく下回り、富士山が見えにくい年だったことになる。(2010.03.13)

  「全体見えた」 138日
  富士市はこのほど、平成20年の富士山観測記録をまとめた。 観測は目視を基本に、午前八時と正午、午後4時に実施。平成20年は、一日のうちで最も見える確率が高い時間帯である午前八時観測ベースでは「全体が見えた日」が138日。3回の観測時点すべてで「富士山の全体が見えた日」は43日だった。 一方、3回の観測時点で「まったく見えない日」は104日だった。 富士山観測は平成2年5月から行っている。平日は市役所担当課職員が目視、休庁日は市役所の定点カメラを使い記録している。20年の午前八時観測データによる「全体が見えた日」を月別に見ると、次の通りで、全体像に触れる確率は秋から冬にかけて高いことが鮮明になっている。(2009.03.07)
 ☆1月 14日 ☆2月 21日 ☆3月 13日 ☆ 4月 13日 ☆5月   9日  ☆6月 4日
 ☆7月  2日 ☆8月  6日 ☆9月  5日 ☆10月 15日 ☆11月 16日 ☆12月 20日
 
   富士山よく見えました
  過去5年で最多 富士市がまとめた平成19年の「富士山観測の記録」によると、富士山が見えた日は211日で、最近の5年間で最多、過去17年間では7番目に多かった。山全体が見えたのは、年間のほぼ三分の一の126日、7月はゼロだった。観測は平成3年から続け、季節変化は平年通りで、秋から冬にかけて見える割合が上がり、山全体が見えた日は1月が最多の20日。一部が見えた日も加えた最多は12月の28日だった。
反対に7月は一部が見えた日も1日だけで、残る30日間はまったく見えなかった。天候と見え方の関係は必ずしも連動せず、1月は平地で晴れた日は14日間だったが全体が見えた日は20日。反対に8月は晴の日18日に対し、全体が見えた日はわずか3日だった。(2008.03.06)

   富士山大沢崩れ谷底に大量土砂
 土石流発生「注意を」 国土交通省富士砂防事務所は9日までに、富士山大沢崩れの堆積土砂量の調査結果をまとめた。現在までに崩れの谷底部に約23万8000立方bの土砂が堆積し、土石流の発生に注意が必要としている。 堆積土砂は平成16年12月に土石流が発生して一度は減少したが、以降は堆積量が増えている。16年の発生時はふもとの遊砂地で土石流を防いだ。遊砂地内では11万立方bの土砂が確認された。 大沢崩れは富士山西側の山頂直下から標高2200b付近まで、延長2.1キロ、最大幅500b、最大深150bにわたる国内最大級の大崩壊地。現在、ふもとで150万立方bの土石流を捕捉する遊砂地の整備が進んでいる。 (2007.03.10)

  「富士山見えた」192日
 富士市が昨年の記録をまとめ 富士市が平成3年から実施している「富士山観測の記録」の平成18年実績によると、1年間で午前8時に市街地から富士山の「全体が見えた」「一部が見えた」は合わせて192日で、例年並だった前年より7日少なかった。 18年は「全く見えなかった」のは7月が最多で25日、6月が23日、5月が21日あった。逆に「全体が見えた」のは12月の19日が一番多かった。時間別では、1日3回(午前8時、正午、午後4時)の観測で、午後になるほど見える割合が低下した。 3回の観測を通して「全体が見えた」は年間で48日、「全く見えなかった」は132日だった。平地で「晴れた日数」は168日、これに対して「全体が見えた」は116日にとどまり、平地で晴れていても周辺の雲や霧で富士山が見られない場合が夏場に多かった。(2007.02.08)
 
         
 
  富士山世界遺産候補に

 政府、ユネスコ提出へ 文化庁は1月23日、世界文化遺産候補として静岡、山梨両県の「富士山」など4件を「記載することが適当」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)に提出する暫定リストに新たに加えることを決めた。文化審議会文化財分科会が了承した。暫定リストには現在 国内から4件が掲載されており、追加は平成13年以来6年ぶり。 6月のユネスコ世界遺産委員会で暫定リストへの掲載が正式に決まるが、各国提出のリストがそのまま決められるのが通例。 「富士山」については「一国の文化の基層を成す『名山』として世界的に著名」としたうえで、「信仰と芸術・文化の諸活動に関連する文化的景観として、顕著な普遍的価値を持つ可能性は高い」と審査基準を満たしていると判断した。 暫定リスト登載は富士登山に例えれば三合目、これからが厳しい上りであり、注文がついているように険しい道のりをクリアしなければならない。 (2007.01.24)

  富士山うっすら”雪化粧”
  富士山頂が淡く冠雪している様子が7日午前、確認された。 静岡地方気象台によると、富士山頂は午前5時ごろから氷点下になり、同9時の気温は−4.7度。冠雪は静岡市内からも見え、雲の切れ間から時折、うっすら雪化粧した山頂がのぞいた。この日の冠雪はまだ幻の記録。観測されれば、例年より6日遅く、昨年より4日早い。初冠雪になる。  (2006.10.07)

   富士山検定
  あなたも”富士山博士”になりませんか?
富士山検定とは、日本の象徴である「富士山」、その地質、気象、歴史、環境などあらゆる面から、「富士山」に関する知識や理解度を試験形式で検定します。全国の人々が富士山について考え再認識する機会を提供することで、現在推進中の富士山世界文化遺産登録運動を支援します。   (2006.10.01)
紙面検定(3級認定試験)
受験方法 10月1,8,15,22日の日曜日、静岡新聞の朝刊に、各日30間、計120問を掲載。
        解答用紙に4回分の答えと必要事項記入、80円切手を貼ったあて名明記の返信用封筒を同封の上送付。
 提出締切:10月31日(火)必着
認定条件 120問中、70%正解で3級合格となる。

    『富士山見えた』205日
  春ー夏より秋ー冬が高確率 富士市が平成3年から継続して実施している「富士山観測の記録」の平成17年実績によると、1年間で午前8時に市街地(市役所8階)から富士山の「全体が見えた」「一部が見えた」は205日で、平年並みだった。 富士山の見える割合は秋から冬にかけて高く、春から夏にかけて低くなる傾向がある。17年は6月に「全体が見えた」のが1日もなかったのに対して、12月はこれまで最も多い26日あり、この傾向がはっきり数字に表れた。12月は[全く見えない日]は1日だけだった。 時間別では、1日3回(午前8時、正午、午後4時)の観測で、午後になるほど見える割合が例年と同じように低下した。3回の観測で「全体が見えた」のは年間で60日、「全く見えなかった」のは123日だった。 平地で「はれた日数」は195日。これに対して「全体が見えた」日数は139日。平地で晴れていても周辺の雲や霧で富士山が見られない傾向が夏場に強かった。  (2006.05.12)

  世界遺産・富士山実現を
  静岡・山梨、合同会議を設置 富士山の世界文化遺産登録を目指し、静岡、山梨両県と、関係市町村は19日、「富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議」を設置した。会長に石川嘉延静岡県知事、副会長に山本栄彦山梨県知事が就任した。 静岡県内で開いた第1回合同会議は、会議を構成する両県知事と、静岡側の富士宮と富士、御殿場、裾野、小山の五市町、山梨県側の富士吉田と忍野、山中湖な五市町村の代表らが出席。石川知事は「わが国が誇り、世界の人々があこがれる富士山の世界文化遺産登録を実現し、末永く良好な状態で受け継いでいくステップにしたい」とあいさつした。 出席者から登録の時期や予算などについて質問があり、第一段階とする国がユネスコに提出する暫定リスト登載を平成19年を目途に、最終的な登録時期が23,4年ぐらいになる見通しを示した。予算について「他県の例を見ると、おおむね3億8千万円程度かかると思われるが、できるだけ下回るようにしたい」と述べた。合同会議は登録を効果的に推進するための総合調整や、登録に向けた施策や事業の推進を図るのが目的。学術調査委員会を設置して文化遺産としての価値付けを行うほか登録に必要な暫定的な範囲の決定、国との調整を行う。地元の理解の醸成と国民的な機運の盛り上げを図るためパンフレット作成やイベントの実施などにも取り組む。    (2005.12.19) 

  富士山初冠雪
 富士山山頂が11日朝、うっすらと雪化粧した。山梨県の甲府地方気象台でも同日午前6時、富士山の初冠雪を観測した。 平年より10日遅く、昨年より10日早い。 静岡地方気象台の観測によると、山頂は10日夕べから氷点下となり、11日午前3時にマイナス2.1度まで下がった。秋雨前線による雨が雪になったとみられる。 富士山の山頂から9合目あたりまで白く覆われ、冬の訪れを感じさせた。 (2005.10.11)

  富士山 「見えた」210日
   富士市役所、昨年の観測 富士市がまとめた「富士山観測の記録」によると、昨年1年間、午前八時に市街地から富士山が望めた日は、「全体が見えた」「一部が見えた」合わせて210日で、「外れ年」だった前年よりは39日増えたものの、ほぼ例年並だった。 年間で「全体が見えた日」は136日、「一部が見えた日」は74日、「全く見えない日」は156日だった。平成3年の観測開始以来の平均がそれぞれ131日、76日、159日で、ほぼ標準的な1年だったと言えそうだ。 月別に観ると、見えた日の割合が高かったのは@12月(93.5%)A11月(86.7%)B2月(82.8%)などの順で、やはり上位は冬場に集中した。ただ、前年の平成15年に「全体が見えた日」が1日もなかった7,8月も昨年は7月45.2%、8月35.5%見えていて、夏場も例年よりやや見えやすかったようだ。 (2005.06.10)

  富士に浮かぶ「かぐや姫」
   雲海から浮かび上がる富士山の山肌に24日、和服を着た人のような紋様が浮かび上がった。 「かぐや姫伝説」が伝わる富士市では、かぐや姫は富士山に登ってとされ、宝永火口西側の六合目付近に現れた紋様は頭を富士市側に傾けているように見える。 適度な雪と山肌の状態で現れたが、これからは気温の上昇と共に「かぐや姫」も天に昇っていく。 (2005.04.25)

  富士山を世界遺産に
   登録めざし国民会議 日本のシンボル・富士山の世界遺産登録を目指して国や静岡、山梨両県の活動を支援する「富士山を世界遺産にする国民会議」が4月25日、設立される。発起人の中曽根康弘元首相や、石川嘉延・静岡、山本栄彦・山梨の両県知事らが30日、都内のホテルで記者会見し、登録実現に強い意欲を示した。国民会議は遺産名を「信仰の山・富士山の文化と景観」(案)とし、世界遺産の中の文化遺産(文化的景観)として、5年後の登録を目指す。都内で開催する設立総会で、中曽根元首相を会長に決め、5月初旬に内閣府にNPO(特定非営利活動)法人の認可を申請する。設立発起人には中曽根元首相ら各界の代表25人が名を連ねている。 会見では中曽根元首相が「富士山は日本を代表する名山で文化的景観としての登録はまさに的確な対象。全国民、全世界に向かって(登録を)お願いしていこうと思っている」と あいさつした後、国民会議のロゴマークが発表された。国民会議は登録に向け @国民運動センター機能 A用件の調査 B国民的キャンペーンの企画・実施 C政府や国際機関への働きかけ D登録後の保護管理体制の提言 E富士山基金設置などの活動を展開する。7月2日に都内で記念シンポジュームを開催し、南アフリカで同月中旬開かれる世界遺産委員会にも参加して富士山をアピールする。 (2005.03.31)

 富士山頂は浅間大社保有
  国側が無償譲与 富士山頂はどこのものー。富士八合目以上について、測候所などの敷地や道路を国有地とした以外、富士山本宮浅間大社(富士宮市)の私有地と認めた最高裁判決から、30年にわたって宙に浮いたままになっていた『山頂問題』が一応の決着を見ることになった。国側と神社側が17日にも、無償譲与に関する文書を取り交わし、最高裁判決に沿う形で、山頂部分の保有権が正式に神社側に移る見通し。 ただ、山頂付近の静岡、山梨両県、関係市町村の境界線問題は未解決のまま。このため、浅間大社の土地登記など法的手続きができない状況は解決されず、今後の課題として、棚上げされる見込みだ。 保有権があいまいになったままだったのは、標高3,776bの富士山の八合目(3,250メートル)以上の土地で、面積は四百万メートル以上。財務省東海財務局と、浅間大社が取り交わす文書には、このうち380万平方メートルを神社の保有とし、富士山測候所跡の気象庁関連施設の敷地、登山道やトイレなど、国土交通省と環境省が管理する土地など合わせて40万平方メートルを国の保有することが盛り込まれると見られる。 富士山頂の保有をめぐっては、昭和23年、富士山を信仰の対象とする浅間大社が、徳川家康が八合目以上を大社に寄進したことを示す古文書などを基に国へ山頂の無償譲与を申請した。これに対して、山梨県側は県知事が会長となり「富士山頂私有化反対同盟」を結成し、「日本のシンボルを私有化することは国民感情が許さない」と猛反発した。 争いは裁判に持ち込まれ、最高裁までもつれた末、49年、一部の国有地を除く富士八合目以上について浅間大社私有地とする判決が下された。 (2004.12.17)

 富士山頂淡く冬色
  人知れず”初冠雪”  富士山頂がうっすらと雪化粧しているのが八日午前確認された。 静岡地方気象台の観測によると、山頂は七日夕から八日未明にかけて氷点下となり、午前9時の気温は零度ちょうど。県内各地の最低気温は静岡16.6度、浜松18.0度、三島14.2度などと、おおむね平年並みだった。 富士山の初冠雪は、三島測候所が2001年から無人化されたため、現在は甲府地方気象台など山梨県側からの観測だけ。この日は朝から雲が多く、甲府からも初冠雪は確認できなかった。同気象台の昨年の初冠雪観測は10月6日だった。(2004.10.09)

 富士山「百景」に届かず
 富士市選定 候補エリア何とか94  富士市が選ぶ「富士山百景」は、「富士山九十四景」。 富士市が世界に誇る観光資源、富士山を観光振興に生かそうと、平成14年末から進めてきた富士山百景選定事業で、このほど「百景」の候補エリアがほぼ出揃った。期待したほど市民からの応募が伸びず、冬場に入って追い上げたものの、結局「百景」には届かず、候補数は九十四エリアにとどまることになりそうだ。昨年4月から、春夏秋冬の四期に分けて市民と市内24地区からビューポイントを募った。選定委員会とワーキンググループは寄せられたポイントを、同じような前景や位置的近さなどによってエリアにまとめていった。「百景」の百は「たくさん」という意味。「百」という数字にこだわる必要はない」との事務局の方針に異論は出なかった。今後7月末から1ヶ月間、94エリアを対象に市民投票を行い、その結果も踏まえて8月下旬に「百景」を決定する。(2004.06.26)

 富士山の全体見えた日 観測以来最少
  15年富士山観測の記録 1年で104日間に すそ野まで見えた日は365日中わずか104日(28.5%)。
03年は90年の観測開始以来最も富士山全景が見えない年だった。「一部見えた」を含めても171日(46.8%)で01年(170日)についで二番目に少なかった。一日(午前八時・正午・午後四時の3回)のうちで見える確率の最も高い午前八時調査で見ると富士山が見える割合は秋から冬にかけて高く、春から夏にかけては低くなっている。例年2月は高気圧に覆われ富士山の見える確率が高いが、03年2月は「一部または全体が見えた日」の割合が50%で90年5月の観測開始以来最も少ない年となった。また、7,8月に「全体が見えた日」は一日もなかった。平地が晴天であっても富士山が見えるとは限らず、周辺の雲や霧などによって見られないケースがあり、5月から9月にその傾向が強いという。(2004.06.16)

 富士山 実は4階建て?
  地下に未知の火山体 小御岳(こみたけ)、古富士の二つの古い火山の上にできたとされていた富士山の地下に、小御岳よりさらに古いとみられる第四の火山体があることが東大地震研究所のボーリング調査で分かった。氷期の噴火で山頂氷河が解け、繰り返し発生したとみられる泥流の堆積(たいせき)物も大量に見つかった。調査チームは泥流で山体が大型化したことを裏付け、富士山の形成史を見直す手掛かりになるとみている。
 新たに見つかった火山体は、仮に「先小御岳」(せんこみたけ)と名付けられた。小御岳は数十万年前から十万年前まで活動し、その上に現在の新富士の原形となる古富士が形成されたが、先小御岳は数十万年以前から活動していたらしく、詳しい年代を測定中だ。ボーリングは富士山の北斜面と東斜面の計五カ所でことし二月まで三年がかりで実施。六百メートルまで掘削した最も深い穴では、二百ー三百bより深いところから富士山ではこれまで見られなかった角閃石(かくせんせき)を含むケイ酸に富む安山岩質の火山岩が出てきた。小御岳、古富士の岩石組成はケイ酸に乏しい玄武岩質で、全く異質だった。この層は小御岳層の下部に位置し、調査チームは小御岳よりさらに古い時期に別の火山活動があったとみている。富士山は火山灰、溶岩流で美しい円錐形になったとの説もあったが、噴火のたびに氷河が解け四方八方に泥流が繰り返し流れて形づくられたとの見方が強まりそうだ。中田節也地震研教授は「富士山の成り立ちは今までのシナリオとはだいぶ違うことが分かってきた。氷期、山頂に氷河を蓄えながら噴火、成長したのではないか」と話している。(2004.04.03)
 

富士山 玄武岩を主体とする標高3,776bの成層火山で山梨、静岡両県にまたがる。数十万年前に活動を始めた小御岳火山は、2,500b前後の高さがあったとされる。約十万年前に小御岳の南斜面から古富士火山が活動を始め、爆発的な噴火を繰り返して小御岳火山を覆った。大量の関東ローム層として堆積。約2万5000年前には山体が崩れて大規模な「古富士泥流」も発生した。約1万年前を境に噴火のタイプが爆発型から溶岩流失に変わり、現在の新富士火山活動期に入ったとされる。


 午前8時の富士山 見えた「202日」最多「11月」
 富士市の平成14年観測結果 富士市の「富士山観測の記録」によると、昨年1年間、午前8時に市街から富士山が望めた日は「全体が見えた」「一部が見えた」合せて202日(55.4%)で、ほぼ例年並だった。
本来は眺望がよい冬場に例年より見えた日が少なかった反面、かすみがかって見えにくい夏場は例年より良く見え、特に八月の見えた日は平成3年の観測開始以降で最も多かった。 年間で「全体が見えた」日が136日、「一部」が66日だった。観測をはじめて最も少なかった平成13年よりそれぞれ11日、21日多かった。 見えた日が多かった月は、@11月A10月B1月−などの順。ただ、例年は見えた日がつきの80%前後に上る冬場には、11月を除くと80%を超えた月はなかった。逆に6−9月の見えた日は過去11年の平均を上回り、特に8月は半分以上の17日、富士山を望めた。 観測は、自然景観も環境の要素に位置付けた「富士・愛鷹山ろく地域環境管理計画」の策定を機に、基礎データの蓄積を狙いに始めた。市役所からの眺望を午前8時、正午、午後4時に記録している。朝方に見える割合が最も高い。昨年、一日を通じ全く見えなかった日は136日だった。(2003.06.19)
 
昼間の富士山を見ることは少なく、朝方、夕方が多い。せっかくきれいに見えた朝の富士山も正午を過ぎると雲が掛かってしまう。冬場、例年と違って毎日見れなかったのも統計を見て納得。

 富士宮口にバイオトイレ
 富士山の山小屋 富士山富士宮口の山小屋に今夏、バイオトイレが整備される。ふん尿の放流、浸透処理をなくし、地下水の保全や富士山のイメージアップを図る狙い。富士宮市、県、国、山小屋の四者が整備費を負担する。今夏のバイオトイレ整備が決まったのは、富士宮口六合目の雲海荘、山頂の頂上富士館の二カ所。総事業費は4100万円。六合目の雲海荘にはおがくずを人口土壌として利用し、好気性微生物の働きでふん尿を分解するバイオ式おがくずトイレを、頂上富士館にはバイオ式おがくずトイレと、灯油を燃料にしてふん尿を回転させながら蒸発、乾燥、焼却させる燃焼式トイレを設置する。おがくずは二、三年に一度、交換が必要。交換したおがくずや焼却灰は一般廃棄物として処理する。県は富士山のトイレ問題解決策として、景観面への影響に配慮して新たな公衆トイレを設置するのではなく、山小屋トイレの整備を支援する方針を決め補助事業を開始。平成14年8月には須走口の山頂と八合目の山小屋にバイオ式おがくずトイレが同年11月には須走口五合目の山小屋にかき殻式トイレが整備された。 (2003.02.26)
 
これから数年のうちに山小屋のトイレからふん尿の垂れ流しがなくなり、いつまでもきれいな富士山になることはうれしい。登山者のごみの持ち帰りの徹底や、ふもとの産業廃棄物の不法投棄など、ボランティアによる山岳パトロールも必要ではないだろうか。


 
あなたの町の富士山を
 富士市は、市外からの写真を募集  あなたの町から見た富士山の雄姿を寄せてくださいー。富士市はこのほど、市外から撮影した富士山の写真の募集を始めた。市のホームページの「みてみて富士山」コーナーで紹介する。
 富士市はホームページに「Mt.Fuji大図鑑」のコーナーを設け、市役所からのリアルタイムの富士山の映像や市内の各所、ふもとの周囲360度からの眺望などを紹介している。全国の「富士」が付く山の写真も公募して掲載しているが、県外から見た富士山の写真なども一緒に送られてくることがあるため、本格的に募集に乗り出すことにした。
 富士山は、冬の晴れた日はほぼ関東一円から見え、遠くは福島県や300キロ以上離れた和歌山県の那智妙法山(標高749メートル)からも見えることが知られている。富士市外の在住者のほか、市民が市外で撮影した写真も応募可。問い合わせは富士市広報広聴課へ。
 富士市のホームページのURLはhttp://www.city.fuji.shizuoka.jp  (2003.02.14)
 
毎朝、ベッドでカーテンを開け真っ先に見るのは富士山。朝化粧した富士山を見ながら今日も天気がいいぞ「がんばろう」と起き上がる。そんな毎日見慣れている富士山でも、旅先で、ぽっかりと頭を出している富士山を見かけると、懐かしくもあり、嬉しくなったりするのは不思議だ。私のHPの「Fujisan Sketch Arekore」の写真は最近、偶然撮影した「かさ雲」に変えたが、その前は車山の頂上から八ヶ岳越しに見た富士山を使っていた。近くのものもいいが、遠くから眺めるものもいい。

 富士市「百景」選定へ
 富士市は、最大の「観光資源」である富士山の景観の積極的な活用を狙いに、「富士山百景選定事業」に乗り出す。有識者や市民の代表らでつくる選定委員会を12月6日に発足させ、選定方法や選定した「百景」の具体的な利用方法について検討を進める。
 事業は、市内から見た富士山の姿や、山がもたらしてきた文化、風土など、市ならではの富士山の景観を選び、「富士山の美しい街・富士市」のアピールに活用していく狙い。市が平成15年度中の策定を目指す市観光基本計画のひとつで、委員らは百景のテーマや、募集の仕方、観光事業への活用方法などについて、16年度までに検討する。初会合で委員らは富士山への思いや事業への意見を述べ、「写真や景観だけでなく、富士山を感じさせる感性や文化なども盛り込んでは」「幾つかのテーマを設けてそれぞれの『富士山』を選んではどうか」「選定委員とワーキンググループが一緒に現地視察をすべき」などの意見が出た。 (2002.12.07)
 
小さい頃はさほど気にしたことがなかった「富士山」、いつ見てもすばらしいと感じたのはいつごろだろうか。いつしかその魅力に取り付かれ、写真もいいが絵にしてみようと思い、「富士山スケッチ」を描くことになった。下手な富士山の絵は銭湯の壁画になると思って日本画や油彩には描いたことはないが、パソコンのペイントでは絵葉書・絵手紙感覚で描くことができる。百景を目標に「富士山スケッチ」を始めたので、これから市で選定されたところを描く楽しみができた。どんなところが選ばれるのか大いに期待。

 
富士山うっすら雪化粧
 9月23日午後0時35分ごろ、富士山の山頂で初雪を観測した。気象庁によると、平年より9日遅く、昨年より19日遅い。
富士山測候所の観測によると、正午現在の気温は氷点下0.8度で、午後0時50分現在でも雪が降り続いていた。午後3時の観測では天候は霧に変わり、積雪には至らなかった。
 上空に北からの寒気が入ったため雪になったという。東京の気温も平年より1.7度低い25.2度で、10月上旬並みだった。 (2002.09.24)
 
地上では昨日は雨、今日も山頂は雲が多く富士山の初冠雪を見れるのはもう少し先のこと。 地元では、富士山に雪が降ると台風が寄ってこないので台風の被害の心配は要らないと聞いているがどうだろうか。
その後、9月27日朝、富士山の頂きが白くなっているのを観察。地上から初冠雪を見ることができました。

  富士山憲章会議・・・トイレ整備推進へ                                      
 本年度の富士山憲章会議が山梨県河口湖町でひらかれた。山肌にし尿を垂れ流さない「自己完結型トイレ」の施設整備を本格的に進める方針を確認。 トイレ施設については、静岡県側が須走口山頂の民間共同トイレと八合目の山小屋トイレ、山梨県側が吉田口登山道六合目に3か所と八合目に1か所の山小屋トイレを整備(助成)すると計画を報告。 利用(登山)者に対しても、マナーの向上を呼びかけている。    (2002.06.13)
 
七月一日お山開き。 登山したい気持ちはあるが体力が心配。高齢者でも登っているから昔のように夜行登山でなく、ムロへ泊まればできるかな。 今から50年ぐらい前に初めて登ったとき、山の上のトイレは溜め桶の渡り板の上でやるので最中に下からおつりが来るし、足を踏み外して落ちないようになど脅かされ、我慢をして腹痛になった苦い想い出がある。尾瀬沼のように有料でも清潔で、環境に配慮したものを大いに望むところです。

  富士山噴火 対応策急げ
  国の「富士山ハザードマップ検討委員会」が中間報告で、富士山が噴火した際、溶岩流が富士宮市や富士市にまで到達する災害予測図(ハザードマップ)や、降灰による 被害予測が発表された。これを受け、県内の自治体関係者は、防災対策の立案を急ぐ必要性をあらためて指摘した。
県防災局防災情報室の小沢邦雄室長は、溶岩流が山ろくの市街地、さらには富士市の駿河湾近くにまで達する可能性が示されたことについて、「約1万年前にできた今の富士山からの溶岩の上に、現在の市街地が形成されていることを考えれば、驚くことではない。」と受け止めている。石川知事の話では想像以上に被害が大きいケースもあると知り、事の甚大さを認識した。(富士山の噴火が切迫している訳でなく)ただちに危険が生じるのではないが、手放しには出来ないとしている。
 検討委員会はつぎの噴火の火口の位置や規模、様式を限定的に予測することは極めて困難とし、特定していない。過去最大規模の噴火が発生すると、溶岩流は火口が山頂南側の場合に富士市や富士宮市に、山頂南東で起きると御殿場市、裾野市に硫下し、それぞれ市街地を襲う可能性がある。沼津市では愛鷹山が壁になり、中心部には及ばない。 火山灰の範囲は1707年の宝永噴火時の実績から、御殿場市、裾野市を含む駿東地区では、山ろくのJR御殿場線沿線地域でも、場所によって数十センチから一メートル以上も積もる。 新幹線や東名高速道が不通となるほか航空路も断たれ、首都圏にも甚大な影響が出る。 富士山ではさまざまな観測データから現在、噴火活動は切迫していないことが分かっている。  (2002.06.12)
 
その時はいつか、考えも及ばないが、いざ、噴火したら溶岩流は近くまで流れてくるのではと思うことがある。今住んでいるところは昔富士川の川原? 富士市が合併する前の吉原本町通りは広見公園あたりの高台から見ると川だったように見える。この辺まで来るのかなと想像する。